ふつうっぽい日記
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2002年04月19日(金) |
振り返り記録“五木氏のはなし” |
3時過ぎに、『ぴゅあテーマ劇場』の更新をしようと気合いを入れて、導入部ができてプレビューをしようとしたら「予期せぬエラーのため…終了しました」と表示された。やっとやる気がいい感じだったのに…でも、おそらく、近々めげずに今度はちまちまと保存しながら作業を進めると思う。
さて、今日の日記は、食事前のひととき。でも、まだ、野菜を切るくらいしかしてない。週末なので、待てるだけ主人を待とうと思う。ちなみに、「やきそば」と「餃子」なのだ。「餃子」はチルドのものなので、気楽。今週はちょいと、こんな気分なのである。こんな気分だけど、それは、とても心地よいものなのだ。で、今日は、また、「児童学研究法」のノートから抜粋しようとそのあたりをいじっていたら、1995年9月26日から書き始めた日記が出てきた。縁だとか運だとかをこよなく愛する私は(大袈裟)ぱらぱらと読みはじめる。ポエムの部屋にぼちぼち編集できそうな言葉もあったけど、10月中旬に書いたと思われる『五木氏のはなし』というタイトルでメモ(なぐり書き)があったので、それを記してみようと思う。
『五木氏のはなし』の「五木氏」とは誰なのかについての説明をしておく。歌手の五木さんではない。作家の五木寛之氏である。(今、名前の部分が出て来なくて「いつきひろゆき」と打ち、変換したらすぐに出てきたのでそれを信用した)私は大学を卒業して、アルバイト生活をしている時に市民大学を受講していた。いわゆる、講演会拝聴ってやつである。公民館(中規模かな?)で2ヶ月に1回有名人の話を一人聞きに行っていたのだ。実は、ひそかに、そこで“出会い”がないかな〜なんて淡い期待をしていたのだ…しかし、女性参加者の中で私は最年少で、男性の最年少は40歳くらいだったかに思う。平均63歳くらいじゃないの?というくらいの年齢層。私の日記のメモによると、1995年の10月は五木寛之氏が講師として招かれたのだった。ちなみに、市民大学の学長は俳優の「米倉斎年さん」(名前に自信がない:よねくらまさかねさん)だった。米倉学長(笑)とは開講式で公民館のロビーで遭遇し、わざと私は米倉氏のえんび服の腰の部分を触ったのだった(おばちゃん根性っぽい孤独な若者…私。)
+++『五木氏のはなし』のメモの抜粋+++
【井上靖(“三宮炎上”)】 *死者1の背後→足を切ってくれ 昭和23年福井地震→アル中毒----3769人死亡 ★励ますことが有効な場合とそうでない場合がある *そうでない:立ち上がれない時 →だまって、かなしむ
【遠藤周作】自分の痛みを分かってくれる *立ち上がれない人が多い時代
【1988年バブル経済】 *自殺者の数:男性が多い ---戦後の倍 ---玉もとんでこないのに ---物も豊かなのに ---食うには困らない ---“皮肉” ---子どもの自殺 ---“自殺者の数”の背後には未遂の人々
【日本の勤労者のストレス何で発散しているか?】 *女性 1:睡眠 2:旅行、外食 3:雑談、買い物 4:カラオケ
*男性 1:睡眠 2:酒 3:テレビ
“仕事のストレス”→本当は人間が生きている本質的なもの “人は見かけによらない”
【ぞうのじかん ねづみのじかん】 …哺乳類は、5億回の呼吸、20億回の心音。 ★呼吸の預金★1日は、ゆっくり呼吸をしよう
【朝顔の花の研究】 ★本当に元気よく生きていくためには、暗いことや心が冷えたりしてその中から生きる力とか
★自分の人生を肯定することは難しい ---自分の人生を否定する他人の人生なんか ---生き続けることは大変なこと ---死ぬ日まで生きていく ---“とりあえず今日まで少なくとも生きてきた” 生きていることだけでそれだけで値うちがある
----------とりあえず、このまま生きているだけで値うちがあるのだから、少しずつ自分磨きをしていきましょ、ね。貯金でいうと、元本保障って感じかな。上等上等。
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