ふつうっぽい日記
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2004年02月20日(金) 大人の道徳教材(長文)

ちょっと、固いようなアヤシイきょうなタイトルをつけた今日の日記。


小学校では道徳という時間があった。
道徳の教科書は、道徳の時間にだけ使うというか、配られた。他のクラスとの使い回しみたいな感じだった。
一応(笑)小学校の教員免許の取れる大学を出た私。
道徳の教材研究の時間はまだ記憶に新しいほうだ。
でも、10年くらい前だ。

道徳の教材には葛藤があるものが選ばれている。
「らくがき」を扱った教材を思い出す。
描いてはいけない壁へのらくがき。
面白そうに好奇心いっぱいでらくがきをする少年。
ダメだよ!と一度は注意したのにも関わらず、一緒になってらくがきをしてしまう別の少年。「○○君、いけないんだ〜!そんなことをしたら〜先生に怒られるよ〜」と言いながら、らくがきをする少年をただ見ている少女のグループ。
そして、小柄でおとなしい性格で「らくがき」はいけないことだから注意しなきゃ、でも、背の高い○○君に、もし、文句を言われたら怖いなぁ…ハラハラする正義感と闘う少年。
こう実際書くとなんか分かり辛く、本当は違ったかもしれない。
最後の展開としてはおとなしい性格の少年が勇気をふりしぼって注目されながらも「らくがきはいけないよ」と言い、○○君以外の人間も「そうだよそうだよ」と言った。

***

やっていいことと悪いこと、言っていいことと悪いこと。
なるべく小さい時に、できれば身近な社会で、しっかりそのことを失敗しながらつかんでいけたら最高。
ギリギリのところで迷って,選択した結果が思わぬ展開になることは結構ある。同じ言葉一つとっても、相手の感情のリズムによってタイミングによって角がたったりする。冷静さを失って逆の行動に出たり、無理してテンションをあげたりして訳分からなくなったりもする。

年を重ねると、また目線や立場も変わってきて、常識や普通や礼儀の違いに驚くこともある。


***
祖母の法事。集まる兄弟(その家族含む)。
来れなかった末っ子の弟(その家族含む)。*四人兄弟。

「アイツ(末っ子)の嫁はオレのカミさんがわざわざ入れてやった珈琲の飲み終えた器を洗いもさげも洗いもしない。そんなこともできない。それに比べてお前(三男)のところの嫁は気が利いて…」60歳の長男が言う。
「悪いけど兄さん、そうさせないような雰囲気があるのよ。私もしようと思わないもの」と次男の嫁。
「…それは、時と場合によるんだ!」と長男。
普段、あまり主張しない次男の嫁。
しばらく、妙な空気が漂っていた。

***
長男の家に集う。そこに、いろいろと集まってくる。
普段、開放的で、いい感じの雰囲気が漂っているお宅ならば、自然に「ネエさん手伝うわ」「いいのよ、アナタたちはゆっくりしていらして」とか「じゃ、私が洗うから拭いてくれる?」とか自然に会話は流れる。
上の“教材”では、長男の嫁の姿は書かれていない。
もしも、長男の嫁の離席中でのやりとりだったら、いらんお世話だ。長男さんが動けよ。多分,文句を言っていた妻の言葉を言ったんだろう。

キッチン。そこはその家その家の主婦(夫)の魂が濃い場所だと思う。(なんか変かな言葉の選び)思い入れみたいなもんがあるし、できれば勝手に触れてほしくない。

「気を遣わなくていいから」というのには、二つあると思う。
「気持ちだけの振る舞いでいいのよ。お構いなく、ね。」という心地よい素直な甘え(好意のちょうどいい受容)と、「自分が必要だったら自分で勝手にさせてもらうから」という落ち着くようにみせかけてさりげなく相手の好意を拒否するだけでなく相手の陣地に踏み込む図々しさと。
たしかに、これは時と場合によるし、相手との精神的距離が一番に関係する。気心知れた間柄なら、勝手知りたるではないけど、お互いのペースや行動のリズムを尊重できる方法として後者になるだろう。
思いがけず贈り物を受け取る場合などは一旦拒んで、しょうがなく受け取ったようなカタチにおさめるのが「美」であり「自然」な時もある。

自分の主張のタイミング。主張されたことで、うまく受け入れるような、我に返るような人間であれば大いにプラスであるが、そうはとても思えないならば、言いたいことは言わせておけばよく、それまでの人で、あえて遠い目をして無表情でいることが、警告ビームになったりする。
でも、自分がもしその場にいなかったら同じように言われるんだろうと思うと何か言いたくなるっていうのも分かる。
でも、(「でも」が多いけど)幸いなことにそういう悪口や陰口は当人がいないところでささやかれるもので、自分には聞こえてこない都合のいい声なのだ。


自分と関わる全ての人からいいように思われようとすると、返って逆に不信感を持たれたりする。好みはやっぱり、ある。苦手だなって第一印象で思うこともたしかにある。お互いに苦手だと思えば,自然に離れていくことができる。好きから嫌いになる速度や度合い。好きの度合い。
違うから不安になる。違うから、ドキドキする。違うから楽しい。

???苦手なのって“自分と違う”から???

人間って賢い。人間てスゴイ。ちゃんと、総合的に受容できるようになってる。自分と同じような感じの人間に近付くことが自然な時期がある、自分と違う人間を排除する時期がある。自分と違う人間を魅力的に思う時がある。自分と同じような人間だから合わないと思う時がある。

分かっちゃいるけど、やっぱり、その時の選択には自信がもてないこともある。それもその時は自然。
「後悔」するから。「反省」するから。

キカイ(機械)は後悔なんてしない。反省もしない。
どんなに便利に機械が動いても,やっぱ、それを操っているのは、人間だ。

離れようとしても繋がる。暴れても排除されない。間違っても責められない。変なことをしたら正してくれる。苦手なものに自信をつけてくれる。
甘えさせてくれる。一緒にふざけてくれる。
そんな欲望すべてを満たしてくれる社会。それが家族だ。


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書き始めてから,ちょっとして、来客があったりして、編集画面は放置され、初めと終わりでは、テンションがかなり違った。
まぁ、いっか。
いつか自分が読み返した時に、どんな気持ち、顔か、想像するとおかしい(笑)


KAZU |MAIL