ふつうっぽい日記
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2011年03月08日(火) |
「お寿司」で「挑戦すること」を考えてみる |
奇想天外なことを楽しく考えるクセをつけることは、いいことらしい。
そういうことが書かれた文章が頭に残っていたからか、ある時なぜか「お寿司」に例えて「ある人」に熱く語っている情景を想像してしまった。 それもその「ある人」というのは、「異端児」のような人格を設定していた。
異端児のその人は言った。 「私にもお寿司の作り方、教えてくれたっていいじゃないですか。 誰も私には教えてくれないんです。店長はあなたから私が教えられているものって思っているんです。店長からあなたにも私に教えるように言われたはずです。私に教えたくなければその時にあなたは店長に言うべきです」
私はいろいろとそれに続く展開要素を考えてみた。
・私も始めは「炊きたてのご飯」だと思っていた。 ・すぐにそれは冷ましたご飯的であり、ほんのり「酢」が入ったような風味であることが分かった。 ・ご飯を炊くときに水に酢を加えればよいのだろうと思い、そうしてみる。 ・でも何かが違う。酢の量が違うのだと思っていろいろと試行錯誤する。 ・でも何かが違う。ふと、ご飯を炊くときに「昆布」を入れると美味しくなるということを知る。 ・試しに「昆布」を入れて普通に炊いてみる。 ・普通にご飯を炊くということでも「昆布」の存在が生きているということを知って感動する。 ・「昆布」の種類にもいろいろあることを知る。 ・苦手な親戚の集まり。「ちらし寿司」をいただく。 ・親戚のおばさんは「ちらし寿司くらいしか人様に作ってさしあげられない」と言っている。 ・別の親戚の人が「優しい味付けだからホッとする」と言っている。 ・別の親戚の人が「我が家では、子ども達にうちわでご飯を扇いでもらっている」と笑顔で言う。 ・親戚のおばさんは優しく微笑む。 ・ふと、こういう考えが浮かんでくる。 ご飯を少しさましてから、「酢」を入れてみたらいいのかもしれない。 ・誰も私に具体的方法を教えてくれないということに不満を抱いていなかった自分に気づく。 ・いろいろと私が試行錯誤することを見守ってくれていた人たちに気づく。 ・「お寿司」の味は、それを食べてくれた人の思いを察することで奥行きが出てくる。
「感覚的」につかんでいったことを教えるのは難しい。 マニュアルがあればいいと思ったことがあった。 そのマニュアルを探すのに奔走したこともあった。 マニュアルがないのに「させようとしている」ということに無神経だと思ったこともあった。
これという手段が限定されてないということは、いくらでもチャレンジが出来るということで、誰もどの部分が違うか間違っているかなんて分からない。 その試行錯誤の姿から、見えてくるパターンや新たなアイデアが生まれることもある。
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