ふつうっぽい日記
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変な題名だ。 「直感の練習」
「直感」とは何か。
[名](スル)推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。「―が働く」「将来結ばれる運命であることを―した」(『大辞泉』より)
一方的に「師匠」と呼ばせていただいている方からの言葉。 私の「師匠」は歴史上の人物から「隣のオバサン」的な人まで多様である。
どんな人が「偉い」「スゴイ」かというのは人それぞれだろうけど、例えばテレビに出ていたことがあるとか新聞で連載をしていたとか本を出しているとか公な公共的な場に実名を出し存在を伝えるというのが一つの共通した認識なのか?と思われる。
しかし、本人が「私はテレビに出たことがあるんですよ」「私は新聞に…」「私は本を出しています」と言ってもらわないと分からないということもある。 「その道で」「その領域で」有名であると言っても、その道や領域を概観する要領なんてものはこれまたそれぞれであるわけで。
だからといって、「本人」が「私は有名なんですよ」的な言葉を伝えて来たとしても、微妙そうである。しかし、「ホンモノ」は何気に自己アピールをするのが上手である。
おそらく、私は「芸能人」「著名人」という方が隣に座っていても分からないのだと思う。 分からないゆえに、気軽に世間話的なトークもやってしまう。 「その人」を知っている人に何気に「その人」に関するエピソードを語るとき、「あなたはいったい何者?あの人は有名な方なんですよ。そういう話をされるなんて…(あなたって…)」ということもある。
実際にあった。 そのやりとりを通して、「その人がいかに有名か」とか「その人がいかなる実践者か」というのが見えてくる。
インターネットが普及している世の中。
「もしかしたら、本人の意思ではない言葉かもしれない」という疑いみたいな一歩引くこともある。そういう時はだいたい自分自身が信じられない。「こんなすごい人からコメントがつくはずがない。これはきっと偽のやりとりだ」といった様に。
自分にとって成長させてくれるような気づきを与えてくれるようなメッセージに気づく喜びのような感覚そのものは、メッセージをメッセージとして受け取った人に委ねられる。
この1年で、私は結構「考え方」が変わったと思う。
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