ふつうっぽい日記
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避難所まるごと他県へということを聞いた。
そして、西日本への「疎開」策。
災害で負った痛みに加え、新しい環境への適応。
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今、読み進めている本から
○渡辺実 小田桐誠 共著 『ドキュメント 崩壊からの出発 阪神大震災5年「生活再建」への挑戦 社会思想社 2000年
梁勝則氏の「孤独死」と題する詩が載っていた。
人は死ねば孤独になる あの世に極楽や天国があるのかどうかは知らないが 少なくとも現世とは無縁となる 孤独は死の結末なのだ 仮設住宅の「孤独死」は異形の死だ 独居の人が仮設に閉じこもり外に出なくなる やがて栄養失調や脱水や突然の病気で息絶える 仮設住宅では孤独は死の出発点なのだ (中略) ノックは孤独死を防がない ドアをたたくだけでは孤独死を防ぐことはできない 誰かが勇敢に部屋に入らなければならないのだ 合い鍵を使い ドアをけやぶりガラスを壊せば 瀕死の人は助けられる 死んだ人は醜くなる前に見つけられる プライバシーの名分の下で救出されなかった命もあるだろう
中島正義氏(春日野公園地域型仮設住宅自治会長) …まず被災者が哀しみや苦悩を抱えながらも自ら立ち上がる意思を持つこと。 そのうえで、ボランティアと連携したり、行政に要望し対応してもらうこともある。 被災者の自助精神、被災者同士やボランティアによる共助、行政の公助が三位一体になることで生活を建て直すことができる。
中辻直行氏(支援ネットワーク) …地震で『市民』は『避難民』になり、充分な援助のない避難所で『難民』となりました。 抽選でバラバラにされ、遠方の仮設住宅に移され、『流民』となりました。 そして国民として当然の支援を受けられず、『棄民』となろうとしています。
山折哲雄氏(白鳳女子短期大学学長) 「第一の言明。人間も最後は石ころのように死んでいく。土くれのように孤独のうちに死んでいくほかはない。人間であるからといって何の特権もないのだ。 人間の運命のうえにも、天地の万物と同じように無常の風が吹く。 第二の言明。その場に駆けつけて、死にかかっている人間を助け起こす者がいるかもしれない。 されば彼は、その人間を病院につれていき、看護の手をさしのべ、退院した場合もなおかれの人生を全うさせるために努めなければならない。その介護と看護の仕事に終りはなく、彼が死に至るまで続けられるべきである。それが慈悲の行為である。終りなき慈悲の行為である」
桜井誠一氏(市長室広報課長) …自分の生活を取り戻すために、自ら動くことで社会復帰していくことこそリハビリ。 我々の仕事はそれを支えることであって、モノやカネだけを与えればいいというわけではないとも考えた。自助と公助、それとボランティアによる共助によってスポーツ、文化的なものを楽しめるようになる。…被災者だって人の役立つことや教えるものを持っていればそれを表現してほしいと思った。…集団生活にトラブルは避けたいものだが、経常的なコミュニティの中なら「お互い様」で辛抱できることが、特に震災によるにわか作りコミュニティの中では、いずれ別れ別れになるということもあって、遠慮なく深刻なトラブルに発展することも多かったのではないかと思われる。
○河合隼雄+柳田邦男 『心の深みへー「うつ社会」脱出のために』 講談社 2002年
(河合) …ものがないとか何かが足らないというのはものすごく生きやすい。目標がはっきり見えるから。 …ショッキングな体験をすると、すごい視野狭窄になったように見えなくなるか、ものすごく広く見え出すかのどちらかに分かれる。
(柳田) …東北で出会ったドクター。 「これからの日本の文化の発信地は東北ですよ」 高度成長の恩恵にもあずからず、バブルにも乗れずに取り残されてきた東北には、いちばん大事なものが温存されている。 だからこそ、新しい21世紀の日本の文化をつくり、社会をつくっていく発信地になる。
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包み込む側のコミュニティの個人、一人ひとりのひたむきな理解が問われる。
包み込むコミュニティも、また包み込まれているという構造であることを忘れない。 包み込まれる集団は、それぞれ「個人」であることも忘れない。
包み込まれるそれぞれ「個人」が、包み込むコミュニティに気づき、「一人ではないこと」に気づき、自分の中にも包み込める力があることに気づき、やがて包み込まれ包み込むコミュニティに属しているという基盤のもとに、その「個人」にとって幸せな人生となりますように。
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