ふつうっぽい日記
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2011年03月25日(金) |
インコを弔った日の記憶から |
やはり、「木」を見てしまう自分がいる。 そして、昨日とはまた違う「木」の存在に気づくようになった。 「木」の集まりの形、遠くの「山」を認めるようになった。
「山」と「森」の違いはなんだろうか。
「山」に入って周りを見渡す景色が「森」なのだろうか。
ーー
「木」を見て意識されてきた記憶について。
小学生の頃、インコを飼っていたことがある。 黄色の「きーちゃん」と緑色の「みーちゃん」であった。 そのどちらかは、猫に襲われてインコとしての魂は移行していった。 そのどちらかは、広い空に飛ぶ道を進む行動を果たした。
移行されていった魂の抜け殻。 それを父とともに弔うことをした。 それは浄水場の近くにある展望公園の石で囲まれた植物の植えられた土の中に埋められた。 拾ってきた棒を立てて、「安らかに」と小さな手を合わせて祈った記憶がゆるやかに、しかし、突然に思い出された。
その公園の近くに、生まれながら「宗教」のある環境に育った友人の実家がある。 何度となく、その友人から「宗教」の誘いを受けた。 しかしながら、私は誘いに対して距離を置く姿勢を貫き続けている。
その「宗教」でなければならないことを決める場所に自分を持って行けないのだ。 その友人は「私はこれ(宗教)があったから、こう考えることができたから幸せ」と、闘病や苦悩と向き合っている最中に近況として伝えてきている。 その時の私は、精一杯聞き流す努力をしたものだった。
視野狭窄のようにならずにすんでいる、「今」に繋がることのできた、あのショックのきっかけの近くにいた、「その人」はインコを飼っていた。 おそらくほとんど他人を受け入れなかったであろうその生活空間に私が足を進めることができたのは、「その人」にとっては最大限の勇気、エネルギーを使った行動だったのかもしれない、と今ならば思える。 その「その人」の生活空間にインコはカゴに入れられて生きていた。
「私が帰ってきたら、この子を自由にするの。」
そういって、私にインコは大丈夫かということを確認して部屋の中で自由にした。
そして、「その人」は語ってきたのだった。 「インコが自分の口先で身体を刺していたの。 病院に連れて行ったらストレスだろうって。 犬がしているのを見かけたことはあったけど、身体に傷をつけないように首のあたりに輪っかを付けられたのよ。」
そして、「その人」のある時のことが思い出された。
ある時とは、片眼に眼帯を付けてきたことである。
「娘からママ、その顔で行くの?怖いよって言われたから、 慌てて眼帯を探して、大変でした」
そんなことを言っていた。 それでも、その状況にありながら来るという行動。 その姿をもかけがえのない存在するものとして「認めて」ほしかったのだろうと今さら、今だから思える。
のちに「その人」から痛みを伴い告げられる言葉は痛い我慢の塊だった。
先輩であるあなたを認める私だから我慢を続けた。 そうするしかなかった。 我慢するのが大人。
そのように「その人」を追い詰めたのは、深く積み重なったいろいろな黒い物だと今さら、今だから思える。
私自身、「その人」の黒くて重い塊を受けつづけ、そこにずれずに居続けることが精一杯だったにもかかわらず、私は「その人」を理解する方法の模索を減り続けるエネルギーの自覚と対峙しながら進めるしかなかった。 「その人」は、もう、私が発する一つ一つの言葉が誰に向けて誰に対して言われているのか区別ができていない状況だった。
電話というコミュニケーションの手段は、顔や表情が見えないためにある守りの距離が取れる。 そして、攻撃の距離も取れる。 しかし、気持ちのふれあいは相当に意識しないと厳しいものがある。
私はずれていく自分の感覚を感じながらも、つとめて「前向き」にふるまった。
「その人」は私の言葉全てが恐怖である感覚があったために、隙を作らないような勢いで(塊で)言葉を投げ続けるしかなかったのだ。
私が冷静に言葉を言うことを「その人」は、こう表現していた。 「私はあなたに心理分析を依頼しているのではありません」 「その人」の感覚において、「あたかも自分が心理分析を受けている風」であったのだ。 そして、他者から「分析される」こと、自分が知られようとしていることが、恐ろしく恐怖であったのだろう。 今さら、今だからそう思える。
私は私がゆっくり、まるで分析しているかのように聴いている理由を「その人」に伝えた。 「私は言葉によっては、あなたが誤解を抱くということを知っているから」 そして、なんとも答えようのない「その人」からの質問に対して答えられないことも、素直に伝えた。その伝えられないこと自体の沈黙さえも、「その人」は許せない、そんな情緒の波の中で必死であった。 今さら、今だからそう思える。
それでも最後に、「その人」はたしかにこう言ったのだ。
「あなたは支援の仕事を続けないのですか。 続ければいいじゃないですか」と。
「その人」の精一杯のけじめの言葉であったのか、強がりであったのか。 いや、「その人」の純粋な心から発せられた「愛」だったのだ。
今さら、今だからそう信じられる。
「その人」と遭遇しない人生を願い、「その人」から逃げる人生を願った、否定的な「過程」を越えて、私はある一つの「無条件の愛」を学ばせてもらったのだ。
多くの人たちから距離を置かれる(置かれてしまう)人というのはなぜだかいるのだ。 強情な…。 それは「指導者」「管理者」という立場である人もいる。 彼らは「ひねくれている」とさえも映っていた。 今、思い出すそれらの、距離を置かれる人たちの言葉には輝きがあった。
誰でも自分を守るために必死になる。 その守りのための表現にはバリエーションがある。
怒りの奥にある寂しさを感じ取る感性が繋がった今日である。
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