ふつうっぽい日記
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私には「おとうと」(弟)はいない。
しかし、かなり昔、母から私と妹の間には残念ながら生まれてこられなかった子がいたことについて知らされた。 私が中学生くらいだったかもしれない。 幼稚園とか小学校低学年ということはなかったはずだ。
このことも、突然に思い出されたことである。
昨日の夕方あたりから、いつものような日々の流れをこなしながら、その感覚が私に降りてきた。
その感覚に素直に耳を傾けていると、私の幼少時代の基盤の「愛」が揺らいだ理由のようなものが、するっと繋がったのだった。
自分の中で納得がいったのだ。
その理由を私は虐待されたと思い込んでいた。 そう考えることで私の中ではつじつまがあっていたからだ。
「出て行きなさい!」と言って、追い出された記憶。 私は見捨てられ、傷つき、近所の家に泣きながら助けを求めた。 追い出された家に対しての取り引き、懇願というのを知らなかったのか。 謝り認めてもらう、ということも出来たはずであるが、「ここには私の理解者はいない」と判断する行動。
生まれてこられなかった小さな命が、「愛されなかったから生まれてこられなかったのだ」と思い込むことはあるだろうか。 命が通る道を歩いてこられなかったある「存在」と、命が通る道を歩いてきたのだが絶えた「存在」との違いはあるのだろうか。
弔いは確実な「形」のある抜け殻がある者に対してだけ行われ続けるものなのだろうか。
生まれてこられなかった小さな命の話を生まれてこられた小さな命(確実に大きく育っていく命)に語られる気持ちは残酷なのか幸せなのか。
不思議だった。 何もかも幸せのような感覚のようなものを感じられて震えそうだった。
ーー
昨日の夜、午後8時半から9時半まで「アースデー」の取り組みで節電を実行した。 照明を落として、キャンドルを灯し、夕食を過ごした。
その時。
揺らぐキャンドルの炎に私は「おとうと」の存在を感じていた。 キャンドルは4つ。 その内の1つが元気がなかった。 30分くらい経ってから、その1つを別のものと場所を交換した。 元気のないそれは、私や夫の近くで見守られた。
その1つは、元気に揺らぎ始めたのだった。
ーーー
テレビドラマの台詞がすーっと入って来た。
「もう俺無しでも君はやっていけるはずだ」
それは「おとうと」の声のような気がした。
そして私の本棚にある『愛されない子』『小さなことでくよくよするな』というタイトルが目に入る。
「姉貴。俺は愛されなかったから生まれてこれなかったのかなぁ」 「姉貴。小さなことでくよくよするなよぉ」
そんな形なき、存在の記録なき、供養の習慣なき、「おとうと」の存在を認めて、私はその「おとうと」に感謝の気持ちさえ持った。
そして、根拠もなくこう思えた私がいた。
輪廻転生、木の根に降りてくるかもしれない近い魂を受け止める準備ができた。
「喪の作業」と「愛を与える作業」を同時に、器用にできる人間なんてほとんどいない。 愛すべき、不器用ないのち。
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