ふつうっぽい日記
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2011年03月28日(月) 「あの時代」「的の多用」

日記サービスが一時的にPCから更新(書き込み)できない状態にあり、3月28日分として入力しようとしていた内容は、文字としてノートに手書きで残した。
同サービスのユーザーの日記(携帯からは書き込みができたそうであるが、わたしの携帯は対応していなかった)で、サービスの運営が「岩手県」であるということを見て、「待つ」つもりではいた。
運営が「岩手県」云々に関しては、わたしには分からない。


入力できるようになった今、3月29日でありながら28日としてノートを見つつ、これをタイプしようと思っている。
なかなか「昨日書いたラブレター」ではないが、なんとも未熟に映る文章。
しかし、不思議なものでさらに過去に書いた文章(タイプされたネットの日記)を読んでも、とくに未熟であるとか、くすぐったい特別な想いは気にならない。

努力してこの手書きの言葉を見つめつつ、「今」の言葉も織り交ぜることにする。


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このことも、偶然ではないのだ。

偶然の力、直感の力とは、目の前に起きる様々な出来事を広く受け止める力なのだと考えられるようになった。

その「直感」とは違うのか一部なのかは分からないが、手に取るいくつかの本から、語られてくる「メッセージ」の中に、共通点を見て、「その様である状態だった」と自分自身をふり返っているこの実感。

“卒業”させてくれた専門家のタイミング、さすがプロだと思った。
迷うひとときも、有意義だった。
「自分でコントロールできる」という切符を持たせてくれたプロ。

そう考えると「臨床」の肩書き付きの名刺を思いがけず受け取った、その状況もある意味、次への扉への進む切符になっていたのかもしれない。
もっとも、その切符はひとつの幻聴の世界を巡る思いがけない旅につながってしまったのだが。

あの歌の歌詞。
あれは、多領域、多重の層につかみどころのない、それでいていとも簡単に表面だけ、視覚に入って来た文字をおそろしくつなぎまくるエネルギーへ姿を変えた。

その世界を仕切っていたのは、自分でありながら自分ではない人格という設定。
さらにその人格に、わたしは名前をつけていた。
その名前をもつ人格(のようなもの)の「死」によって、混沌というべき苦しい世界に決着をつけようとしていた。

「苦しい」という実感は認知されていたのだ!

「離人感」というのだろうか。
ある種の「境界」に「存在」していたのかもしれない。
その「微妙な感覚」(意識)を「今」、ふり返ると「過去」のこととして、受け止められる。
そして、そのことについて「今」頑張らなくてもよいということも納得している。

何度か「微妙な感覚」の通過をわたしは自分で試した。
その「微妙な感覚」は、否定した気持ちを噴出させ、「怒り」を抱えることになった。
その「怒り」は、対象を変え、何度も試してきた。

その「怒り」は胎内を巡らせることで、やがて「消化」されていったのだ。
と、今ならこう表現できる。抽象的表現や思考も繋がる。
「あの時代」のその作業だったゆえに、とても長く深い時間を必要としたのだろう。

この種の、一連の心の変容が「人格」領域の危機の類なのかはわたしには分からない。

「プロ」の処方する薬からの「逆算」の様な勝手な作業から病例症例を推理していくより方法はなかった。

「プロ」に「わたしの病気(?)は何なのか」に問う方法はとらなかった。
というより、そういう「思いつき」にも至らないほど「ズレ」「揺れ」を生じさせていたともいえる。

「あの時代」
その「揺れ」の中で、この言葉を信じて、「明日」が来ることへの希望が持てるようになったといっても過言ではない。

「新しい秩序へと変わってゆく前に、
混乱はきちんと認識され、
体験されることが必要である」
(ヘルマン・ヘッセ)


以上が手書きで書いた文章を「今」を織り交ぜつつ書いたもの。
「略」せざるをえない部分があった。
簡単に言うなら「文字が光っていた」という説明をしていた部分。
「幻聴に加えて、この訴えてくる文字」の様について説明をしていた。


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「あの時代」の真っ最中、「的」を多用していた。
今も多く使うが、かなり多く使っていた実感がある。
「あの時代」ではそれは「言い訳」ではなく、「ありのまま」だった。
「あの時代」でなければ、「言い訳」や「ごまかし」の「形」になるだろう。

目の前に起きる様々な出来事をリアル(現実)として自覚して対話をしていき、行動を起こせる「今」が分かるこの実感で、「ありのまま」「あるがまま」の自分を置く意味、価値をこれから実感していきたいと思う今日である。

河合隼雄 『心理療法序説』 岩波書店 (1992年)
51頁引用()書きは補足としてわたしが書いたもの。

…話は横道にそれるが、小林秀雄の友人だった青山二郎について、白洲正子が述べていることは非常に示唆的である。彼は美術品の鑑定にかけては超一流の人であったが、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、もしほんとうに存在するものならば、それは外側の形の上に現れずにはおかない」と考えていた。彼は「精神は尊重したが、「精神的」なものは認めなかった」のである。精神的(「的」には「、」が振ってある)なものが精神そのものを覆い隠してしまうのである。「メタフィジックな物言いは、ごまかすのにはまことに都合のいい言葉で」あると白洲は言う。
心理療法家はこのことをよくよく心得る必要がある。心理的(「的」には「、」が振ってある)なもの言いが、心そのものを隠してしまう。精神的、哲学的、文学的、と「的」のつくもの言いによって、自分が毎日毎日、毎回毎回、勝負しなくてはならぬ具体的なことがらをごまかしてしまうことがないように心がけるべきである。青山二郎は、「魂がほんとうに存在するものならば、それは外側の形の上に現れずにはおかない」と言う。心理療法家も、毎日接するクライエントとの間での関係という「かたち」に実現されてくることを、何といっても一番大切にしなくてはならない。それを抜きにして、有難い言葉を言っていても話にならないのである。…


KAZU |MAIL