ふつうっぽい日記
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「待つことの大切さを学びましたね」 教育実習の時の指導教官からのコメントである。
子どもへの声かけ(「発問」)に子どもからの反応を「待つ」ひとときは実に長く感じたものだ。 その沈黙に耐えられずに何かを喋りたくなる。 実際、かなり喋った。
大学生相手の模擬授業では45分のところを90分に渡り展開したことのある私は、90分授業ができる「上を行く」人なのかもしれなかった。 オチとしては、その想定が小学2年生であったことである。 実際の現場で、そうなると、授業が授業として成立しないであろう。 教科は音楽で、音楽科指導法の教授は「待つ人」だといえる。そして、「止めない人」でもある。 教案(指導案)が何やら興味深いものであったとしても実際に授業を展開できるとは限らず、そこからの進歩は確実に壮大なものだ。
仮説があって、行動に移し、そしてふり返る。 同じ流れであっても、洗練されていくのは想像ができる。
初めて受け持つ学年が3年生という方が翌年も3年生の担任をされてあって、子ども達は変わるが、授業そのものに対しての経験が基盤にあるので「ゆとり」のようなものを感じたことを思い出した。 その先生も来月からの新年度は4年目に入るというのだから、月日が流れるのは早い。
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明日は誕生日。 今日で13878日経った。
実家に電話をした。 母が出て、「お父さんが連絡を待っていた」と言う。
父は「待つ人」なのだと受容した。
私にしてみれば、待たせていた感覚はまったくなかった。 「待たせていたんだ」と自分を責めることなかれ。
ありのまま、「待っていたのだな」と受け止めればヨシ。
でも、言ってしまうのだ。 「待っていても来ないよ」
ーーー 高齢期に入る、「人」というのは「待つ」形が自然でいられるのかもしれない。 潔さのようなものを感じる。
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蚊が飛んでいる。 「蚊がおるぞ」と殿が言う。 「はは。」と家臣が言う。 家臣は眼をグルグル回しながら ただ、その蚊を見続け やがて血を吸い重くなり床へ落ちた蚊を ふところの紙で拾い 静かにふところへしまう。
そこには殺生がない。 その世界観というかその場の雰囲気が心地よいと思った今日である。
《参考文献》 新井白石 桑原武夫訳 『折りたく柴の記』 中央公論新社 2004年
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