ふつうっぽい日記
もくじ|過去|未来
2011年03月31日(木) |
「頑張る」こと、そして「未来予測」 |
(大辞泉) [動ラ五(四)]《「が(我)には(張)る」の音変化、また「眼張る」の意からとも。「頑張る」は当て字》 1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」 2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」 3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」
(大辞林) (動ラ五[四]) 〔補説〕 「我(が)に張る」または「眼(がん)張る」の転という。「頑張る」は当て字 [1]あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。―・って店を持とう 負けるな、―・れ [2]自分の意見を強く押し通す。我を張る。ただ一人反対意見を述べて―・る [3]ある場所を占めて、動こうとしない。入口には守衛が―・っている 〔可能〕 がんばれる
こう、辞書の意味を見ると「頑張る」というのはずいぶんとエネルギーが必要な「動き」だなと思う。
「困難に耐えて」「めげないで」「我慢して」「努力する」「やり抜く」
何か具体的な目標を持てるというのは幸せなことなのだと思った。
ーーー 「みんなで頑張りましょう」 この言葉を発する人も「みんな」の一部。 何を頑張るのか「出来ること」 「出来ること」の先にあることが目指すこと。
「目指すこと」が一点、一場面、一瞬ではないところにそれぞれの感性が問われる。
「出来ること」は何かを提供すること、捧げること。 「提供すること」は「何か」(存在するもの) 「捧げる」とは存在しているものから発するエネルギーのようなものを活かすこと。
それも「目指すこと」が一瞬でないのだから「継続」されることが必要。
「労働力」を捧げる人。 捧げる人にもエネルギーが必要。 そのエネルギーを提供することも「出来ること」
「医者」として労働力を捧げることはできないが 「医者」を支援することはできる
後方支援の視点。
ーーーー
「保護者」(誰かの親)として… 「保護者」(誰かの親)を…
「母親」として… 「母親」を…
「父親」として… 「父親」を…
「子ども」として… 「子ども」を…
「教師」として… 「教師」を…
「管理職」として… 「管理職」を…
ーーー
他の誰かを自分のこととして 自分のことを他の誰かのこととして 完全に理解することはできないが 他の誰かや自分のことを 理解しようと努力することはできる。
そのそれぞれの「努力の形」が「他の誰か」や「自分」が気づいた時、自己成長を知る。
努力を「今、ここ」から始めたとしよう。 その「形」が「形」として気づく時間は明日ではない。 これは確実ということだ。 「明日」であったということを知るのはその「明日」の5年後かもしれないし、10年後かもしれない。
それを「未来予測」と呼ぶのかも知れない。
頑張ることと努力することは近い気がする。
ーーー
「未来予測」が「いのちの危機」に関わる領域を含むことが気がかり。
人間が必然的につくった物なのにその扱いに手こずり犠牲が出る。
原子力 放射能 いのち
被曝 虐待
活かされている必然性で「未来予測」をしよう…
|