ふつうっぽい日記
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「感性」や「直感」というのは、なかなかその「存在」というのが分かりにくく、評価されたような感想を受けても、なかなか自分の中で繋がることが難しいにもかかわらず、 その価値みたいなものはすでに知っていることだったりする。
ホンモノの「知識」は行動の後に定着していく気がする。 その「行動」のきっかけのようなもの、試行錯誤を行動に移す力は他者は教えることはできない。 今こうやって、意味が通じるような言葉で表現することが出来ているが、これを言葉にするのに2年間かかった。 今後、さらなる対話をして洗練されていくと思う。
同僚に、「あなたが支援のスキルを教えてくれないから私は上司に怒られた。私は大人だから我慢してきた。あなたが裏表ある人間であることは誰にも言っていない。それはあなたが困ることが分かるから。だって、私大人ですから」云々、がぁーっと言われた。
女性の発する言葉、というのは時にこわい。
いろいろなことを考え、自分の中で論破できた感がある。 専門家のアシストをかりて、約1年。 この道のりは、苦悩だったが、私の中では考え方の層みたいなものが充ち満ちていった実感がある。
支援される人たち、また私たち支援する側の人間も「存在」していることには同じ原点。 アプローチは人の数だけあるし、ほんの何秒か後だったら別の仮説を持てていたかも知れない。 それくらい「確実」なものではない。
因習にとらわれてどうする!
自分の行動(「直感」のようなものに突き動かされての動き)を誰にでも意味が分かるように言葉で表現して記述する、ただそのことだけでも人によって違うわけで、極端な場合「コンプレックス」と対峙することにもなる。 このことを気づかせて(学ばせて)もらったのも同僚の言葉がきっかけ。
「一生懸命頑張っていると、かならず見ている人がいる」
これは、15年前私が会社勤め時代に通っていた会計学校の講師が何気に語られた言葉。 今では私の大きな励みになっている。 支援の現場でお世話になった 職員の方へもこの言葉を添えた。
「リベンジ」「再挑戦」ではなく、心新たに教育を考えていくきっかけを、自分自身で繋いでいきたい。
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