ふつうっぽい日記
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2011年04月05日(火) |
『生と死をめぐる世界観』 |
私が平成6年8月8日に提出し、返却された教育哲学レポートのタイトルが『生と死をめぐる世界観』である。私が二十歳そこらだった頃に書いた文章である。
「教育哲学」の担当は現在、大学で教授をされてある。 この先生も若かった。まだ講師だったのではないだろうか。 いくつかの「伝説」も出来たくらいだ(と、私は思っている) 学生に対して謙虚で純粋で、冷静で、面白い雰囲気を次第に醸し出すようになっていった。 「ローリング アオキ」と囁かれていたこともある。 以降、登場の名前として親しみをこめて「ローリング アオキ」を使うことにする。
なにゆえ「ローリング」なのか。
それは先生の起こしたある動作を「ローリングしてしまった」と自ら解説したことによる。 実に冷静であり、その「動作」が滑稽であったがゆえに、その冷静さに学生は注目し、その「存在」に親近感を抱くことになったのだ。 まだ初対面の域を脱していない時期であったことや、「教育哲学」という難しそうな講義に一歩引いていたことも、その影響のようなものの条件であったと思う。
どんな動作をしたかについては、触れないことにする。
チョークを持ち、教壇に立つ人であれば起こりうる動作である、ということだけ書いておこう。 だからといって、その動作を計画的に実行してしまうのは、おそらくその場は白けるだろう。
ローリング アオキ氏は、学生達の教員採用試験の会場(福岡県)への道で日の丸付きのハチマキを頭にまいて、「先生〜!(こんなところで何やっているんですか!)」という学生からの声かけに「頑張れ!」と声援する、そのような先生でもあった。
ーーーー さて、教育哲学レポート『生と死をめぐる世界観』。 B5サイズのレポート用紙にボールペンで書かれている。 パソコンやワープロも主流とは言えなかった時代である。
さて、自らの文章を再読し、見所の視点としては4点。
1点目 「ローリング アオキ」氏による直筆コメント 2点目 内容の文章全体(調べ、考えている様子) 3点目 参考として貼り付けてあるモノクロコピーの図 4点目 「参考文献」
1点目と4点目について。
なんということだろう。 評価は「○A+プラス」と書かれてある。
《コメント》 死の問題について、よく調べられ、考えられている。本格的な思想テーマは真っ向から取りくんでいる点がよい。 Death Educationは現代の大きな問題だ。 死をみつめることは、生をみつめることだろう。
《参考文献》(書かれてあるそのまま) ・哲学的探求の新構想 北樹出版 ・プラトン 斉藤忍随 著 岩波新書 ・生と死の心模様 大原健士郎 著 岩波新書 ・子どもの宇宙 河合隼雄 著 岩波新書 ・続 死ぬ瞬間 E・キューブラー・ロス著 読売新聞社 ・新 死ぬ瞬間 E・キューブラー・ロス著 読売新聞社 ・イメージの博物誌 魂の航海術 死と死後の世界 平凡社 ・自殺のサインをみのがすな 稲村 博 社団法人農山漁村文化協会
ーーーー 参考文献の書き方が緩いな…とふり返る。 8冊の内、2冊は今も所有している。 プラトンと河合隼雄氏の本。 あとの本は、おそらく図書館で借りて参考にしたのだと思う。
そうか。 私はE・キューブラー・ロス氏の本をすでに知っていたのか…。 これは我ながら意外だった。 しかし、「死生観」に関するテーマであるなら行き当たる著作だったはずだ。
なるほど「自分自身を知ること」というのは、歳を重ねても、愉快なテーマであるわけだ。 「臨床」や「心理」に関わる専門職は「自分自身を知ること」は訓練として必須と言われている。 (河合隼雄氏の本にも言葉を変え何度も目にする) 「さぁ、知ろう!」と黙々とその時から過去をふり返ることに意義があるのではなく、「その状況」で思いがけず「知らされる」ことになるからではないかと思われる。
思いがけず、「掻き出される」「想起される」。 避けてきた課題、抑圧してきた気持ち、封印してきた過去から噴出する「怒り」云々…。 それらを意識できたからといって、「完璧」「完全」ではない。
「自分自身を知ること」というのは、誰でも持てるテーマ。 心を揺るがす状況に置かれた時、「自分自身を知ることというテーマに向き合う時がやってきたのだな。よしよし。いっちょ、考えてみますか」と問いかけることを覚えておきたい。
ーーーー 【参考】 河合隼雄 『「日本人」という病』 潮出版社 1999年
9頁 「自分自身を知らないと話にならない」
51頁〜54頁より抜粋 「夢で、地震の夢を見て「ギャーッ」と泣いたりするのは、あまり心配いりません。 「よしよし。もう大丈夫よ」と言っておけばいいのです。 大丈夫、大丈夫と言っておけば、スーッと治まっていきます。」
「その治まり方には、いろいろあるわけです。」
「(中略)三年くらい経って(中略)古傷が痛むような体験(中略)体験と共鳴するのです。 そんなときは、パーッと怒りの感情が出てきます。 そんなときは「また(中略)のことを考えているわ」と思わないで、「ハハーン。また『自分だけが損をする』というテーマが出てきた。これは、どういうふうに考えたらいいかな」と考え治してみることです。」
「(中略)もっと鍛えないといけないというときに、そのテーマが出てくるのです。」
「(中略)地震のことが不意に心の中に出てきたら(中略) 「これは、もういっちょ自分を深めねばならない。考え直そう」とか、「自分だけ損をするという考え方じゃなくて、もう少し広い見方ができるんじゃないだろうか」と考えますと、せっかく克服したことが出てきたということでなくして、自分を鍛えていく新しい契機ということになると覚えておいてください。」
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