ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2011年04月06日(水) 「誇り」に思うこと

医療現場に関わっている友人が、「医療チーム」として被災地に入ることが決まったということを知った。

彼女との付き合いはもう10年くらいになるのかもしれない。
まだ、「ホームページ」が気軽に作れた時期。
メールアドレスも戸惑いもほとんどなく載せて、交流を楽しんでいた。
それが「よき時代」であったかどうかは分からない。

私は彼女に「あなたは私の誇りです」といった内容を伝えた。
激励の気持ちをこめて。
様々な葛藤を、今まさに抱え込み、受容中であると察する。

私の表現した「誇り」という言葉にも、多少戸惑いの想いが巡った様子。
自分の中にその言葉を巡らせ、素直な言葉が戻ってきた。
「父親にもそう言ってほしい」

そう言って、旅立たせてほしい。
背中を押して欲しい。
という想いのようなもの。

父親とは「断絶」状態にあることも伝えて来た。
そして、「でもヘーキよ」という彼女の気持ちも。


「父親にもそう言ってほしい」


「お前は父さんの誇りだ。自慢の娘だ。」
こう言われたら、グッとくるだろうなぁ。
娘としては。


ーーーー
そして、私は想起する。
自分自身のこと。

母に「一つでもいいから、褒めて」と懇願した去年の自分自身を。

「褒められたい」その気持ちをどうにか自分自身の中で収めようと私は自然に努力していたことが分かった。
「褒める」とはどういうことなのか、試行錯誤していた。
自己課題として意識していなかった。

さらに想起する。
大学時代、「教育」を学び、「褒める」ことの大切さということを知るが、立ち止まった。

「私に、褒めることができるのか。」
「私は、教育には向かないのかもしれない。この道は間違いかも知れない。」

ここまで来ても、それは「自己課題」としては意識されなかった。


それから10年以上の時を経て、関わる子どもから「先生、今からボクを褒めてよ!」と言われた。その時、たしかにその言葉は自分自身を巡ったが「今」思うとまた違う側面が見えてくる。
その「ボク」の言葉表現されたのは、その現場との別れが確定してからだった。
「ボク」が私との別れを意識したからそのような言葉を伝えて来たかは分からない。
しかし、それは私に対してのメッセージであることは信じる確実な存在だ。

ある行動が「褒める」に値するのかは、考えれば考えるほど分からなくなる。
「褒めてくれたから、信頼できる」「褒めれば、信頼される」というような基準があることを見込んで、期待して意識して関わったつもりはない。


存在を認めてくれた。
これなのかな、と今の私は思っている。
どこにその「存在」を認めるか。
ただ、目の前に立ってること、目で見えるからそこに存在しているという意味での「存在」ではなく。
行動や言葉や散りばめられた表現から想像する自分という存在に気づけた喜びなのだと思う。


「褒めてよ」言って、即答できなかった母親の姿から、私は学んだ。

私は「褒める」「褒められる」「褒められたい」気持ちのようなものを知っているのだということを。その「視点」のようなものをつかもうと奮闘してきた努力を自然にしていたことを。

「褒める」ことの大切さを知っていることが分かることができたこと。
そこには母親の存在が必須であったともいえる。


ーーー
医療に関わっている友人への「誇り」に思うこの気持ち。
被災地に入るそのことに対しての「誇り」に限定されない。
私は彼女を知るようになってから、「誇り」にずっと思ってきたのだ。
それを表現する時が、「今」来た。
「熟した」とも言えるだろうか。

彼女と出逢ったこと、コミュニケーションをとり続けてきた「必然」のようなものさえ感じる。
そこにも、確実な「存在」がある。

言葉や表現は引き出される時がくるのを待っている。
引き出されるのは、言葉、単語そのものだけではなく、「気持ち」のようなものも乗っかっている。その「気持ち」のようなものには、「怒り」だって「憎しみ」だって「羨ましさ」だって「下心」だってあるのだ。重いようなネガティブのような「気持ち」

大体の法則のような特徴のようなものを知ったような気になれる、なってしまうのが「大人」。
歳を重ねる流れ。
重いようなネガティブのようなその「気持ち」のようなものは人生で生きていく内に知っておいた方がいいものであるなら、「大人」は小さい「いのち」と向き合いながらその対話を続けたほうがいい。対話の途中過程で強烈に泣いたり、強烈に怒ったり、強烈に暴れたりすることは当たり前のように思えてくる。

一日24時間彼らはそうし続けるものだろうか。一年365日そう続けるものだろうか。

ここで、子どもの言葉を思い出す。
「うるさいとしかいえない教室で、静かにそこにいてくれたのは、先生一人だけでした。
先生のことは絶対に忘れません」

名前や顔なんて忘れても、「そこにいた」という形、存在の形のようなものはこの子には残っていくのだろうなと想像すると熱くなる。

子ども等と関わる想いはさらに高まる。

この「考え」が巡る形を覚えておきたいと思った今日である。


KAZU |MAIL