ふつうっぽい日記
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2011年04月12日(火) |
「心からの愛と感謝をこめて」 |
河合氏の本の中で引用されている和歌と詩(『田辺元・野上弥生子往復書簡』)が、心を打った。
我を励まし力づくる君は同年の われより十も若く見えさす
君と我を結ぶ心のなかだちは 理性の信と学問の愛
あなたをなにと呼びませう 師よ 友よ 親しいひとよ。 いつそ一度に呼びませう わたしの あたらしい 三つの星と。
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私は理解が得られにくいとか障害を抱えている子達と関わるということをやってきた。 もっと遡れば、精神障害で入院しているイトコを理解しようとしてきた時期がある。 ふと、小さな衝撃から「燃え尽き」そうになっていたのだと思う。 「燃え尽き」、消えるか消えないかの境。生と死の狭間。
考える「頭」の機能が明らかに低下していたことを思い出せる。 考えがまとまらず話せない、書くこともおかしな事ばかり。 処方薬を飲んでいるからそうなるのかとも思ったが、私に関しては「ちゃんと」指示通り飲み続けた。強迫的ともいえるくらいに。 薬を飲むことを忘れそうな不安のために夫に毎日電話するように頼んだ時期もある。
あの時代の楽園(日中、夢を見ているような状態)は極めて、濃厚な幸福のようなものに包まれていた感覚がある。 でも、だからといって、その楽園状態が続くことを私は望まなかった。 それを望めば「死」を受け入れることになると気づけたからだと思う。
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尊敬する人、素晴らしい人。
その存在が、「あちら側」(楽園に近い世界)に倒れると、「教祖」的な存在になってしまう際どさ。
私が我ながら賢かったと思えるのは、それらの人(「その人」を含む、尊敬する人、素晴らしい人)が臨床や医学や心理学や教育に理解がある類の方であったということだ。
壊れゆく脳機能状態のなかでそのような人を選択していた私の力。 よく分からない宗教性を持っているような人に依存した可能性だってある。
心が折れそうな、現実から逃げたくなるような状況になったとき、どう倒れていくか。 何に救いを求めるか。 これは、これからの日々を「今、ここ」という確実な自覚の世界で実践して取り込んでいくしかない気がする。
私にとって、楽園時代は多数の固定観念を突破する創造的な世界への通過儀礼だったと思わずにはおれない。
私以上に苦悩と対峙しながら「私の」精神の治癒のための扉を一緒に開けてくれた夫に、心から感謝する気持ちが喚起された一つの「形」。 私は絶対に忘れないだろう。 夫がいつか楽園に旅立っても。
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【参考文献】 ・河合隼雄『大人の友情』朝日文庫 2008年
166頁〜167頁 『田辺元・野上弥生子往復書簡』岩波書店…
19頁 「人間の生き方は、何らかの意味でどこか一面的なところがある。そのとき、自分が無視してきた半面を生きてきた人を見ると、「虫が好かぬ」と思うときがあるようだ。
57頁 「途方もない「偶然」が「必然性」をもって生じてきたとさえ感じられるのだ。…心の深みが関連するとき、このような「不思議なこと」がよく生じるからである」
73頁 「友人関係によって、人間は美しい感情の体験をすることができる。だからと言って、そこにのみ留まっていると、一人立ちの障害が起こってきたりするところに、友人関係の微妙な味があると思われる。」
83頁 「死んだ友人たちが、自分を見ている、あるいは、見てくれている、と考えることは、生きてゆく上で大切なことと思う。」
104頁 「…大切なのは、その「関係」あるいは「つきあい」というときに、その相手にしろ、在り方にしろ、実に多様なものであることを知っておくことなのだ。特定の相手と特定の関係に固執してしまうと、動きがとれなくなってしまう。」
105頁 「…お互いの距離についての調節や操作にそれほど気をつかうことなく、相手と共にいる、あるいは「あの人がいる」と想うだけで、ほっとできるような関係がひとつでもあれば、その他のつきあいは楽になるだろう。そして、そのような関係こそ友情と言えるものの根本ではなかろうか。」
128頁 「自分自身の怖さ、弱さをよく知っていなくてはならない。さもなければすぐに他人を責めたくなる。」
135頁 「友情が強くなると、同一視や理想化が強まる。「あんな素晴らしい人と同じようになりたい」だけでは危険である。人間は決して完全ではない。…友情の強さよりも深さの方に注目することで、裏切りの悲劇は回避されるだろう。」
146頁 「…類似性の高さは関係の維持に役立ち、相反性の高さは、関係の発展のために役立つ、ということになるだろう」
198頁 「ぎすぎすした人間関係に潤いを与えてくれる友情ということが、現在において極めて重要になってくるのも当然である。」 「友と友を結ぶ存在としての「たましい」…」
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