ふつうっぽい日記
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2011年04月18日(月) |
激しく揺れている木の葉の動きが落ち着くまで |
週末、土日スクーリング科目「心理学実験」に参加。 2日間で4つの実験をこなし、2つのレポートを提出。 このうち、1つの実験は学生時代にしたことがあったが、学生時代の学びの記憶は写真のような残像のみ。つまり、「有意差がある」ことを導きだす関数電卓を使った計算の知識の類はまるで私の脳には残っていなかった。当時のレポートが手元に残っているが、見ても分からなかった。 しかし、そこに書かれている文字は確かに私のものだった。 といっても、この2日間の講座は初学者でも分かるような内容で、統計計算の類はしなくてもよかった。
土日の疲れが出ているのか、貧血状態にあるからなのか、朝から定期的に睡魔に襲われている。 潔く昼寝をしてみるか?とも思ったが、朝から装用しているコンタクトレンズを外すのがめんどうでうつらうつらする程度に留まっている。
一度目の睡魔は、ピアノの鍵盤を叩いてみることで通過させた。 二度目の睡魔は、尊敬している師匠の文章を読んで興奮状態に自分を持って行くことで眠たい脳から距離を置くことができた。
で、今、三度目。 ベランダに面するサッシ戸を開けて周りの景色を見る。 「私の木」と呼んでいる「木」をぼんやり見つめていると、その木は激しく木の葉を揺らしていた。
広縁にディレクターズチェアを置いて哲学的文章を読んでみた。 ダメだ。眠い。
だいたい、今日は本来は緊張して過ごすはずの1日なのである。 何かというと、書類選考の結果が今週分かるのである。 その結果はケータイに「担当」から連絡が入ることになっている。
主観的に最近、自分自身の性格を問う時にキーワードとして挙げたくなる、「おおらかさ」を本当に獲得できてしまったのかもしれない。 こんだけ「のんき」でよいのか。 よいも悪いもないのですよ。
性格について。 土日の「心理学実験」では「性格検査」というのもあった。 120問からなる質問紙に「はい」「いいえ」「?」で答える形式。 「?」や「はい」じゃなくて「いいえ」または「いいえ」じゃなくて「はい」というどっちつかずな回答は全くしなかった。
似たような「心理テスト」の類をこれまで何度か受けたことがあるが、明らかに「以前ならここで、【はい】を選んでいたな、【いいえ】を選んでいたな。でも、今の私は違う」という自覚を持って回答を進めることができた。
例えば「小さなことでくよくよ悩んでしまう」とか「うわさが気になる」とか「劣等感を持っている」とか。 お遊び的な「占い」「診断系」の結果のコメントに「小さなことでくよくよ悩んでしまいがち」というような言葉があると、「そうそう。そうなのよね。」とネガティブな表現をあっさりと自分に取り込んでいた。そういう結果じゃないものは、間違っているんじゃないか、くらいに「折りグセ」が定着していたといえる。
明らかに以前は内向的で活動性は低めだった。
今は違う。
「性格検査」の結果では主導権因子に特徴があって、「支配性大」「社会的外向」のパーセンテージが高かった。「適応者型」という枠組みに入る。しかし、この型は、自分を良く見せようとして故意に望ましい結果に自己評価として導いた場合、この型に流れることも多いそうだ。 そして、それが故意であるのかについての判定は難しいとのこと。 あくまでも「自己評価」であるので、「思い込み」ということもありうる。 今回は実験体験としての検査であったので、結果は回収されることはなく、自己採点で自分の主観的な性格と比較してどうなのかについて考えることが考察課題だった。
「心理学実験」の担当講師は県内の大学の准教授。 アシスタントを1名同伴していた。
「実験」というスタイルを取るため、講師と双方向なコミュニケーションを楽しむ、という時間はなかったのだが、講師の語る「個人的な体験」は有意義な想起に繋がった。 それは二日目の昼食後の時間。
「私ごとですが…」と、「去年原因不明の内科的疾患で入院した」というエピソードを語られた。 「ほどほどに休憩をして、学びを続けていってほしい」という言葉を受講生に伝えたかった様子だった。
提出はレポート2枚と授業についての感想1枚。 私はその感想に講師が語った「個人的な体験」から想起した事柄を書いた。
「クリエイティブ・アクシデント」 この表現は、「師匠」のブログに書かれてあった。
事件や騒動、ハプニングに対峙して乗り越えたからこそ獲得できた「何か」。 きっと、この講師にも繋がっていると私は確信した。 闘病中はいくら頑張ろうと思っても頑張れない。
この講師は今、行政から依頼されているという子ども達を犯罪から守る防犯プロジェクトの1つとして心理テストを開発中と言っていた。試作段階でのデータ提供として「心理学実験」受講者は協力をさせていただいた。 「個人的な体験」前と後では、アカデミックな脳の動きはおそらく後の方が要領よくなっているのではないかと想像した。
講座の最後に講師は、「今日、無事にこうやって授業をすべて予定通りに進めることができたのは皆様のおかげです。本当にありがとうございました。」と言ってあり、自然に拍手が起こった。
「私の木」は、今、穏やかに木の葉を揺らしている。
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