ふつうっぽい日記
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2011年04月20日(水) 不思議な縁が試してくる

このところ、眠気覚ましにこの場所へ収める言葉を書いている。
そう、今、とても眠い。
しかし、心はいたって健康。

就職活動中。
書類選考の返事待ち継続中。
希望校の本年度の行事予定はまだネットに公開されていないが、傾向として歓迎遠足あたりが実施されようとしている時期だと思われる。
5月〜6月には運動会が予定されてあることも多い。
とにかく、小学校に関しては年中通して行事が目白押し。
そこへもって、緊急事態などがぽつぽつ起こってくると現場は緊張の連続である。

募集要項によれば来週末から勤務開始となっているので、来週火曜日まで応募受付にはなっているが選考試験が勤務開始日の前日なんてことはないだろうから、今週末あたりには何だかの返答があると見込んでいる。書類が先方に届いたのか確認をしようかとも思ったが、ここは冷静に「待ち」の体勢を貫こうと思う。

ーーー

こういう私の状況を試すようなことが起こった。
思いがけず、幼稚園に勤める先輩から幼稚園でパート補助教員をしてもらえないかという誘いがあった。

「待ち」の体勢時ではあるが、直感として「これだ!」と思えば書類を送った小学校に潔く辞退を申し出るということも出来るのだ。

私はどうしたいのか。
決まっている。
「特別支援教育」の現場で、それも出来るなら小学校という「しくみ」の中で自分の存在を置きたい。

広い視点に置けば、「幼稚園」という「しくみ」の中においても、「特別支援教育」をテーマに関わることは可能なのだ。
人間の発達は、連続しているのだから、小学校の前の段階の幼稚園という段階での関わりの経験は意義があるのだ。
しかし、同時に関わることはできない。

「補助」というからには、「補助」なのであるから「主」である立場が作成する指導計画に基づき、指示されたことを忠実に従えば適度にこなせるのだと思われる。
自分に試練を与えるとすれば、自動車での通勤になるため、ペーパードライバーから脱するという課題。


なぜ、「特別支援教育」の現場にこだわるのか。
なぜ、これなのか。
そこでの試練は、課題は何なのか。

「特別支援教育支援員」という立場は微妙な状況にあることを私はこれまで経験して思ってきた。この体制の価値は何なのか。
この体制を「学校」を運営している人たちはどれくらい理解しているのか。
子どもとの関わりが主たる目的だが、子どもを包む社会としての「学校」のしくみ、支援するしくみそのものをじっくり考えてみたい、という思いが私の中で盛り上がっている。

その思いはどこから、何のきっかけがあってそうなのか。

これまでの学校現場での支援する者としての経験そのものからの反省もさることながら、その枠をこえた子どもを支えるしくみの重要性を考察したくなったのだ。
考察という言葉は違うような気もするが、とにかく理解したいと思っている。
それは私自身を知ることにも繋がる。

「これまでの学校現場での支援する者としての経験」
価値ある反省に結びついたか、というと微妙である。
おそらくこの微妙さ加減が「特別支援教育支援員」の位置づけの微妙さに繋がっているのだ。


本当に必要な存在なのか。
なぜ必要なのか。

そこには自分の経験が認められるべき内容だったのか、という評価されたい気持ちがあるから、というのが全くないかという嘘になるが、役割としてのその機能の今後はどうなることが期待されているのか?という謎が疑問の大部分を占めている。

学校の先生は大変だという。
大変さを知ってもらうための存在なのか。
「教師」という資格を前提に関わる現場ではないが、「先生」と呼ばれる。
素直に新鮮な気持ちで、そして何やら嬉しさがこみ上げる。

それは目的ではない。

誰がどうなってほしいのか。

担任教師が大変さから解放されるため?
人間関係が増える、ということになるが、大変にならないか?
TT(ティームティーチング)担当の教師がその役割を担うという訳にはいかないのだろうか?

「特別支援教育支援員」は学校に1名の配置。
「補助」よりも動きの見通しは持ちにくい立場である。
担任と連携が重要、という「特別支援教育支援員」。


「しくみ」のリーダーシップを担う人材は教職員である。
計画に基づいて、試行錯誤していく一つの「駒」のような存在が支援員だろうか。
担任が書いた脚本に沿って、担任をサポートする「黒子」のような存在が支援員だろうか。
同じ学校であっても、管理職が1名替わるだけで「しくみ」の雰囲気は変わる。
せっかく築いた「共通理解」もそのまま引き継がれることはほとんど無い。
引き継がれることを期待していた時期もある。
しかし、考えを改めた。
「前例」として固まって「因習」となっては向上していかないし、成長していかない。


「しくみ」そのものの意義や価値を問いながら、その役割がその部分に機能しているのか、どうやれば機能していくのかについて考えながら実践していきたい、というのが私が支援員をやり続けていきたいと思っている動機である。

そのような動機で、志願する人がいようがいまいが、私はそのように考えてみたいのである。
その思いが関わる大人に伝わるか伝わらないかは私のこれからに繋がっていく。
その繋がり具合を、論文のようなものとして形にしてみたいと思っている(※「論文」とは言い切らない)
その目的は、あくまでも「自分自身を知るため」なのである。

この動機が通じるか通じないかの答えが、書類選考結果以降の流れで一つ分かるともいえる。


よく言われることがある。
「教員免許を持っているのに、教師をしないのか。もったいない。」

これに対しては、時々揺れる。
私は教師を本当はやってみたいのだろうか?と。
でも、何かがひっかかる。
想像の余地はあるが、何かひっかかる。

教師もやり甲斐はあるだろう。
しかし、私にとって支援員というまだ未知の部分があるこの行く末不透明な立場も、そういう状況だからこそ魅力なのだ。
教師の動線が分かるからこそ、「黒子」になれる。

「支援員と教師の給料の違いを考えよ」とか「せっかくならお金をもらって関わる道を考えてはどうか」という声も聞いた。

多くの人たちが歩いてきた「教師」という道。
まだまだ分からない「支援員」という道。

それぞれの道には有意義な「苦労」もあるが、「しくみ」そのものを近くで意識しながら関われる「支援員」という道を私はあえて選びたい。たとえ、その立場が消えゆく職種だとしても。
その「始まり」といえる、「第一期」から関わってきた者として。


KAZU |MAIL