ふつうっぽい日記
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2011年04月22日(金) 大学入試から想起されたこと

約20年前の大学入試のことを昨日思いがけず思い出した。

それは一冊の本を再び手にしたことがきっかけである。
灰谷健次郎氏の『兎の眼』である。
この本は、高校卒業記念として友人Mからもらったものだ。

「小学校の先生を目指すKAZUちゃんに是非読んで欲しい」等のメッセージもたしか添えられていた。
Mは、県内の教育大の障害児教育コースに進学した。
あたしも同じ大学を狙っていた仲間だった。

ところが転機が訪れる。
センター試験当日、私は体調を崩し、朦朧とした頭で受験した。
さらに蕁麻疹が身体中に出て最悪なコンディションだった。
本調子が発揮できる状況とは言えなかった。

自己採点は過去最低の得点。
Mは二次試験に挑むことになった。
二次試験用の願書をMが汚してしまい困っていた。
あたしはMに「私は私大を受験するので使わないから是非使って。私の分まで頑張ってね」とあたしの白紙の願書をMに差し出したのだった。

私は高校では「国立文系」クラスに所属しており、私立への変更には正直抵抗があった。
しかし、やるしかない。
小学校教員免許が取得できる、一つの私立大に狙いを定め、過去10年分の問題を集め、傾向をつかもうと努力した。1つの大学で、第一希望として小学校教員免許が取得できる専攻、第二希望として保育士受験資格、幼稚園教員免許が取得できる専攻、第三希望として、その短期大学部で保育士受験資格が取得できる科と目標を持った。

結果、3つとも合格した。

教育大に進学したMとは時々連絡を取っていて、あたしのサークルの発表会(演劇部の公演)にも一度観に来てくれた。
Mと教育について語り合った、という記憶はほとんどない。
ただ、お互いに教育実習の後に何だかの感想を言い合ったような気がする。
当時、あたしは「障害児教育」領域には全くといっていいくらい関心がなかった。
「こっちはこっち、あっちはあっち」みたいな感覚だった。

Mとあたしの教育実習プログラムの大きな違いは実習先が附属小学校か出身校か、であった。

あたしは出身校に教育実習に行きたいという強い希望があった。
そう考えれば、教育大を選べなかったという状況は必然だったのかもしれない。

Mは、教育実習を受けてみて適性がないことが分かった、ということをたしか伝えてきた。
あたしは、念願の出身校での教育実習を叶えることができたことである程度満たされていた。
惰性のような感覚で2回採用試験を受験した。
それは、出身校を管轄する教育委員会とは違うエリア。
そのエリアを選んだのはあたしの「弱さ」だった。
今のあたしだったら、違う選択ができたと思う。

当時は採用枠もさることながら、「講師」になれる確率も厳しかった。
それでもなお、強い意志があれば扉は開かれたはずである。

あたしは強い意志がなかった。
単発のアルバイトで小遣いを得る生活。
「自立」とはほど遠い生活。
社会人になった同級生は実家で通勤しながらであっても家にお金を入れている。
実家を出て一人暮らしをしている、なんていう友人にはただただ尊敬だった。

そして、多少なりとも安定が見込める「企業」へ就職を決めた。
「本当に教員になりたい自分がいれば再び閉めた蓋を開けるだろう」と自分自身に期待しながら。

「企業」勤め時代、あたしは簿記学校へ内発的に通っていた。
そこでの講師との出逢いは、今の私の人生に励みを与え続けている。
たかだか資格取得目的の学校ではあるが、講師の人間性を観察するあたしがちゃっかり存在していた。そこでは、あたしは必ず前方の席に座り、必ず何か質問をして退出するようにしていた。
そのうち、あたしが質問をしようとする前に講師の方から質問がないかと配慮してくださるようになった。「会計士を目指してみませんか」と言われた時には、少々悩んだ。
あたしはその道を選ばなかった。

その時、お世話になった講師が何気なく言った。
「一生懸命頑張っていると必ず見ている人がいるものです」

今思えば、その講師、一個人からのあたし一個人に向けてのメッセージだったのかもしれない。
と言うのも「でも、校内でのプライベートな付き合いは禁止されているんですよね」とその講師が言ってきたからである。そう言われてもその時のあたしは、意味が分からなかった。
もし、その時、あたしの中で恋愛モード的な勢いがなんだかで暴走していれば、もしかすると情熱的に迫っていたかもしれない。

やはり、あたしは「愛されている」とか「愛される」という感覚が著しく発達が遅れていたのかも知れない。

そのあたしのアンバランスさが、何度か交際にいたった男性の中で理解しがたさを発生させ、距離を置かずにおれなかったのではないか、と考察した。

そう考えると、夫としてあたしと一緒に暮らしている人というのは、まるごとあたしを包み込んで理解してくれている貴重な存在だと思う。


今日、こうして大学入試から想起された内容を繋いだ点や線の存在。
いや、一冊の本『兎の眼』から広げられ繋げられ表現された、あたしの脳髄で文章化された「物語」。

日々新芽。
この文章の置き場の名前を「日々新芽」と改変しようと思う。


KAZU |MAIL