ふつうっぽい日記
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2011年05月06日(金) 「逆境が人格を作る。」

「逆境が人格を作る。」というのはロシアの小説家トルストイの名言。
昨日、ラジオを聴いていると耳に入ってきた。

短い表現の中で、たしかにそうかもしれないと思えた。
そして、この言葉の価値のようなものを知っているのと知らないのとでは、出来事の受け止め方が変わってくる気がする。
「知っている」とか「知らない」という表現を使ったが、適切ではなかったと後から思った。
自分自身をふり返ることができるかできないかとか自分と対話する意味とかありがたみが分かるか分からないかといった、自分の感覚に近い。

ピンチはチャンスとか、苦悩の経験から学ぶことが大きいとか、似ているような言葉は結構ある。
まぁ、だからこそ時々、しばしば、立ち止まり冷静になることが必要だ、ということかなと思う。

「逆境」とはどういう意味か。

苦労の多い境遇。不運な境遇。「―にめげない」(大辞泉)


「苦労の多い境遇」「不運な境遇」はどうして引き起こされるのか。
起こるべくして起こったことであり、一個人誰かの陰謀によって他の一個人が陥れられたのではない。起こったことは仕方のないことである。

何度も何度も「苦労の多い境遇」「不運な境遇」が試してくるような感覚を持つこともある。
「どうして私だけ」
「どうしてあなたも私にそういうことを言ってくるのか」
「誰も私を認めてくれない」
「誰も私にその方法を教えてくれないから私なりの方法でしているだけなのに認めてくれない」



「人格」とはどういう意味か。

1独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。「相手の―を尊重する」「―を疑われるような行為」
すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・―ともに備わった人物」
2 心理学で、個人に独自の行動傾向をあらわす統一的全体。性格とほぼ同義だが、知能的面を含んだ広義の概念。パーソナリティー。「―形成」「二重―」
3 倫理学で、自律的行為の主体として、自由意志を持った個人。
4 法律上の行為をなす主体。権利を有し、義務を負う資格のある者。
(大辞泉)


「逆境が人格を作る。」


「苦労の多い境遇」「不運な境遇」が「その人固有の、人間としてのありかた」「パーソナリティー」「自由意志を持った個人」「義務を負う資格のある者」を作る。


なかなか、たしかに、前向きな表現である。
自己成長のチャンスといえそうだ。

ここであるエピソードを思い出す。


ーーー
ある施設でインフルエンザや流行性の風邪が蔓延していた。
そこで働くスタッフもそれぞれで体調管理をするが、免疫の具合はそれぞれであり、欠勤せざるをえないこともありうる。
AさんはBさんの補助的な位置づけで関わっていた。
補助的であるので、Bさん一人でも業務は進められるがAさんのサポートで業務の効率は上がる。


Aさんは明らかに欠勤対象であった。
しかし、Aさんは「私がしなければ!」と強い使命感で現場に入る。
Bさんは非常に恐縮していた。


ーーー
健常児も混在する教育施設で障がい児Cさんの介助サポート任務でボランティアとして入っていたAさん。障がい児の指導者であるBさんにこう語った。

施設外で健常児親子に遭遇した。
親としては、わが子が誰に反応しているのか疑問に思う。
そこで簡単に自己紹介をした。
「指導者Bさんの補助をさせていただいているAです」


ーーー

健常児も混在する教育施設で障がい児Cさんの介助サポート任務でボランティアとして入っていたAさん。施設長であるBさんにこう語った。

わが子が通う学校職員に、わが子が母親は教育施設に勤務していることを話題にしていた。
後日わが子が通う学校職員から「あなたは指導者だそうですね。お子さんから聞きました。」と言われて困った。


ーーー

「逆境」を「逆境」として意味づけ浸透させることがどの程度出来ているのかについて、他者に確認することは出来ない。
まして、その意味について一方的に熱く語り悟らせるような言葉を他者に発することは慎重になる。

しかし、言葉を変え、場所を変え、人を変え、「気付き」を与えるために何度でも何度でも試される機会があるのだ。


謝罪や反省の「言葉」も純粋な表情を伴って、行動に一貫性がないと伝わりにくい。


ーーー
ドリカム(Dreams Come True)の『何度でも』という歌詞を抜粋。


「こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?
誰かや何かに怒っても 出口はないなら
何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ」


自分の内面から湧き起こる「怒り」への対処、コントロール。
一個人、それぞれ「怒り」が喚起されるタイミングは違う。
経験が違うように、育った環境が違うように。



「1000回だめで へとへとになっても
1001回目は 何か 変わるかもしれない」

この言葉は「特別支援教育」の精神に繋がると思った。
試行錯誤の、粘り強い寄り添い、理解。

ーーー

昨日、夫に私はこういうことをつぶやいた。
「自己中心的な人に、君は自己中心的なんだよ!って言っても分かるものだろうか?」

夫は「分からないよ。自分で気づくしかない。ある時、ふと気づいていろんなことが繋がっていくんだよ。そうやったんか!そういう意味やったんや!ってね」


KAZU |MAIL