ふつうっぽい日記
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2011年05月07日(土) 「母」

明日は「母の日」。

2人の「母」エピソード。


Aさんは、一人娘を出産。
出産時に、義母が寄り添っていた。
義母は言った。
「あら。女の子なの。男の子じゃないのね。」
Aさんはその時に誓ったという。
「もう、私は子どもを産まない」
Aさんは義母にこう言って欲しかったという。
「よく頑張ったね。おめでとう。」


Bさんは、一人目を出産。
出産後、Bさんは涙が出た。
その涙の理由は「夫は男の子を希望していたのにその願いを叶えてあげることが私はできなかったから。申し訳なくて。」
Bさんは二人目も女児を出産した。
Bさんの娘さんはこう言って欲しかったという。
「生まれてきてくれてありがとう。」


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AさんとBさんの「心」の形は少し似ていると思われた。



あたしは、子育て経験のある女性は皆「肝っ玉母ちゃん」的で温かい心を持った人なのだと思い込んでいた時期があった。

いま思えば、なんともちっぽけで恥ずかしい。

「思い込み」というのは「固定観念」とも置き換えられるだろうか。
人間というのは誰でも何だかの「固定観念」に縛られている。
無意識にそうであることも多い。

しかし、有意義に人生の発達課題と対峙する時が来ると、受容できると、「固定観念」から解放されていき生きやすくなっていく。


許すことを知ること。
比べないことを知ること。
自分を愛すること。



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あたしは中学時代、同じクラスの男子と文通をしていた。
その内容で思い出したことがある。

「私の母は、人と私を比べます。辛くて悩んでいます。
あなたはどう思いますか。」

そこには「恋愛」的な甘いテーマはほとんどない。
文通相手の彼は戸惑ったことだろう。
しかし、真面目な彼は彼なりに慎重に言葉を選んで返事をしてくれたものだった。



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あたしは高校時代に付き合っていた彼を自宅に連れてきたことがある。
母と彼とあたしでトランプか何かで遊んだ。
あたしがトイレに離席して戻った時に、彼と母が笑顔で喋っている姿を見て、嫉妬して、彼を殴った。
当然、母は「どうしてそんなことをするの!」とあたしを叱った。

思春期の子どもの心、どうか母である、貴女、察してください。

思春期の子どもの内部ではさまざまなドロドロしたものが渦巻いています。
その扱いに子どもも分からなくて苦しいのです。
しかし、その時期は限定されています。
10年も20年も続きません。
「もう、お母さんは知りません!」と言って、逆ギレせずに居続けることは親にとってはとても辛いことだと思います。
でも、親であり、人間である、貴女の人間性が試され、成長する機会でもあるのです。
逃げてはいけません。
母親である貴女の幼少時代や、思春期時代の苦い過去や気持ちが掻き出されるからといって、逃げたままでは、貴女を親だと信じて育つ子どもの心は傷つくばかりです。

子どもは心の傷つきを隠すのが上手です。
その努力は「頑張り屋さん」「我慢強さ」として強化されていくからです。
褒められているように感じられるからです。


「小さなことでくよくよ悩む」
「劣等感を持つ」
「悲観的だ」

占いとか診断とかでその傾向があると何度も出ると、「私はそういう人」と思い込んでいきます。
そうではない結果になると、これは信頼できない結果、なんていうことまで思ってしまう。
「小さなことでくよくよ悩んでこそ私!」
「劣等感を持つ私でなきゃ私じゃない!」
「悲観的であるのが私!」

なんと切ないことだろう。

本当は小さなことでくよくよ悩みたくないくせに。
劣等感から解放されたいくせに。



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子どもは親の背中を本当に見ています。
そしてよりよく生きたいと思っています。


大人は学び続けるものです。
学ぶことを子ども達よりも賢く知っているからこそ。


KAZU |MAIL