ふつうっぽい日記
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2011年05月08日(日) 「おむすびころりんは砂場ですればいい」

初舞台はいつだっただろう。

ステージにあがり、観客の前で芸を披露する、というのは幼稚園のお遊戯会がその初めであることが多いと思われる。

冷静になると、極めてすごいことである。
「見せ物」として自分を捧げるのであるから。

高校時代の友人は「赤面症」だった。
発表の時もやや顔が赤くなっていて、辛そうだったことを思い出す。


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3年前くらいの話。
1年生のA君は突然言った。

「ボク、思いついたんだけど、おむすびころりんは砂場ですればいいんだよ」


たしか学習発表会で国語の教科書にも載っていた「おむすびころりん」の劇をすることが決まったくらいの頃だと思う。

劇といっても、教科書に載っている文章を暗記して、一人または複数で分担した部分を動作をつけながら体育館のステージ上で読むくらいだったと思う。
残念ながら私は彼らの「舞台」は観ていない。

A君の想像力は素晴らしかった。
とてもリアルだった。
日常生活での会話も大人と話しているかのようだった。

当時、私はボランティアで障がい児や見守りが必要な子ども達のサポートをしていた。
A君は私が学級担任のように授業をしないことをいち早く素直な疑問として突きつけてきて、「ボランティアなんだよ」と言えば、「生活大丈夫なの?!ボクはそれが心配だよ」と切り返してくるような子だった。
若干7歳。

「大人びている」とか「子どもらしくない」とか周りの「大人達」はA君へ違和感を抱いていて、対等に会話を成立させていくことにやや疲れていたように映った。
という私も、初めは正直面食らったものだ。
大人だけではなく周りの子ども達もA君への関わりに少々困惑していた。

私はA君の見守りが中心だった時期があり、へこたれそうになりつつも「A君の世界の住人になろう」と努力した。その努力は、苦痛は伴わなかった。
「何を考えているのか分からない」のではなく、あまりにも素直すぎて純粋すぎて素朴すぎて可愛すぎて愛すべき存在であることに気づいた時はA君の「とりこ」になっていた。

A君から「先生、結婚しようよ」と言われた時は、私の存在が認められた!と、幸せな気持ちだった。その過程で、私は周りの子達や「大人」に対して「通訳」のようなことをしていた。

厄介な、手のかかる「あの子」「あいつ」と呼ばれていたA君。
担任の先生も、A君の個性に振り回されながらも理解しようと努力していた。
通常学級での外部からの支援者というのは、担任との連携が求められる。

担任の指導力が問題なのではなく、可能性に満ち満ちた子ども達の成長を見守る目は多い方がいいのだ。特に、「障がい」という課題を抱える子、「特性」のある子は、担任が見ていないようなところで素晴らしい才能を放っていることも多い。
いや、担任から見えているのが子どもの「障がい」や「特性」としか映らない時期があるため見落としてしまうことがあるに過ぎないのかもしれない。

担任の先生から「あいつの笑顔を活かしてやりたい」と熱い思いを支援者としての私が聴いたとき、一つ任務を終えたような感覚を持ったことを思い出した。

といって、私に何か特別な力があるということではない。

一歩引いた立場から、全体を見ると見えてくるもの、気づかされることが多く、同じ立ち位置に担任の先生が立てば教育的専門的技術面での要領のいいアプローチが期待できるのだ。
そう考えるので、いわゆる「加配」教員がクラスに1名付けられたら、「支援員」の役目は不要になるのではないか?とも思うのである。



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「おむすび」はコロコロ転がる。

転がる面は「地面」。
アスファルトでもなく、木で作られた舞台でもなく、自然が作った土の道。

私はA君の感性を忘れないだろう。


そして、思い出す。
あたしが「舞台」で「役者」として演じていた若き時代を。


KAZU |MAIL