ふつうっぽい日記
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2011年05月11日(水) 3行「記録」の練習

ある施設での日誌について。
Aさんはこれまでに1日1頁、関わった人たちのことや自分のことなどを書いてきた。
Aさんにとってはそれが「ふつう」だった。

ところが、同じ施設で担当が替わってから、「日誌は1週間で1頁ペースの簡単なもので構いませんから。細かく書かずにトピックだけでいいです。」と指摘を受けたのだった。




試しに挑戦。

・A君、Bさんに謝る
・A君、「集中するためだから」と窓を閉めた
・A君、水ホースで遊ぶ

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3行って記録なのか?




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だったら、お前がお手本見せてみろよ!
なんて言いたくもなる。

いかんいかん。
大人げない。
冷静に冷静に。


めげずに、再度挑戦。


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A君の間違ってBさんの鉛筆を持っていた→Bさん号泣→A君、非を認めず言い争い→Bさんと支援者が活動中にA君、Bさんの鉛筆を返す→A君、Bさん仲直り
A君窓やカーテンを閉め始める→理由「集中できないから」
A君は水ホースで遊ぶのに集中していた


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箇条書き版
○間違って他の子の物を持っていたA君、言い争うも後にちゃんと返して和解
○自分が集中できるための環境を整えようと努力していた
○水、土、など感覚を刺激するような行動を優先する傾向



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いわゆる管理職というのは、「現場」から遠い。
その管理職がリーダーである「支援員システム」
支援員は「現場」の中でもかなりの動きがある場に投入される。
そこでの試行錯誤、奮闘、思いは管理職は知らなくていいのだろうか。
というか、知りたいと思わないのだろうか。
知らされたらその内容に責任を取らねばならないから不都合なのか。
知らせたいと思う支援員の思いは厚かましいのだろうか。

煮え切らない思いが盛り上がる。

その「思い」に支配されないためには、「思い」を抱くことから解放されねばならない。
いや、「思い」を抱くこと自体は大切な過程のはずだ。
盛り上がった「思い」をプラスに転じる手立てを考えよう。

マイ支援を忘れないようにせねば。
日々、向上。
戸惑うのは当たり前。

コンプレックスになりがちな文章を書く、という作業。
「簡単に書く」ということは、長文化された文章を否定されたということではない。
箇条書きでも充分に伝わる表現が出来る、ということ。
そして、ちゃんと「想像」ができる、ということ。
箇条書きにすると2つくらいのことを、それぞれを細かく描写していけるのだから、箇条書きをたくさん並べることで多くの情報やエッセンスを伝えることが出来る。

なるほど、先生。
さすが、先生。

日々学習。
日々不悟。


明日も笑顔で、自己成長!



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そういえば思い出す。
今日のB君の言葉。
「先生を見ると、C君のことを思い出す。C君は転校しちゃったんだ」

B君、ありがとう。
今日は、たしかに嬉しいこともあった。
先生、頑張るよ。
君たち、子どもの味方として。


KAZU |MAIL