ふつうっぽい日記
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2011年05月28日(土) 「弱いところを強くしていく」

約一年前に「君の弱いところをこれから強くしていこうと考えているがいいかね」との【精神】関連の専門家の提案で私は自分と向き合うこととなった。


私は心の中で「何をどうやってこのセンセイは進めていくのか?」と関心を持っていた。
「こうやって進めていくんだな」というのを意識できるものだと思っていた。

あっぱれである。
何がそうだというのか。

その「治療」というか「療法」というのは半年程度で「卒業」となる訳だが、今となってようやく「そうやって進めていったのか!」と思われることがなんとなく繋がったような感覚である。

やはり、私は一年前はたしかに弱かったのであり、そして、今、強くなったのだと思うことができる。


センセイは「書いてきなさい」とあるお題(課題)を出してきた。
私が「学生」であることを知っていたセンセイ。
さらには、私は教育現場で障がい児の支援に関わっているということを何気なく語り、センセイはとくに身を乗り出すような仕草を見せず聞き流していた(ように見えたが、やはり、プロファイリング的な重要な要素としていたはずである)

そして、「書く」という作業自体はおそらく苦痛ではないだろう、という予想があったはずである。

今思えば、そのお題(課題)への書く内容というのは「正解がないもの」なのである。
よって、「ふつう」っぽい思考力があるのならば、「否定」されるとか「まるでこきおろされているかのような」反応であった場合、なんだかの自分の主張やそもそも問題が曖昧なものであったことなどを冷静にふり返って、折り合いをつけるようにその場を持って行けるのだと思われる。
「○○についてレポートを書け」のような、はっきりとした課題ではなかった。
書く形式も「自由」だった。

私は「図解」的な感じで「課題」に挑んでいた。
「ふむふむ。なるほどなるほど。そうかいそうかい。」といった反応を予想していたと思われる。
今となっては分からない。

センセイは「そうじゃない!…私が書いて欲しかったのはそういうことじゃなくて…」と、要求を突きつけてきたのだった。私は簡単に不愉快な気持ちが掻き出されて、口をへの字にしてセンセイを睨みつけた…と記憶している。
心の中で「もう一度課題を出されても二度と書くものか!せっかく書いたのに!ひどい!」と思っていたことを覚えている。

センセイは私からその感情を出させることを狙っていたのだ。

「こきおろされること」「否定されること」に対しての耐性、コントロール。

つまり、それが私の「弱さ」であり、乗り越えて得られることは「強さ」と繋がるのだ。


私の認識だが、その手の(カウンセリング的な、精神分析的な)治療では、患者から「すっかり治りました」といった言葉をしっかり聴くまで見届けるのはおそらく専門家の仕事ではないのだ。


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