ふつうっぽい日記
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2011年05月31日(火) 「気になった箱の中身」

もしも、我が子が人様の子にケガをさせたら。
例えば、骨折させたら。

保護者として相手の自宅に出向き、謝罪をするというのは一般的だと思われる。
この出来事を後日、何ヶ月か経ってから、子ども同士で語られることもあるのだ。

ケガをさせたA君。
ケガをしたB君。

B君が語った。
「ボク、A君から滑り台の上から落とされてケガをしたことがある」

A君は「ああ、あの時ね。B君が血を流して入院した時だね。」などと言う。

聞いていた私は驚く。

B君は「入院はしてないよ…骨折だったけど…
その時に、A君のお母ちゃんが箱を持って謝りに来たんだよね」

A君は「その箱には何が入っていたの?」とB君に尋ねた。

私は「もう、いいじゃないの(済んだ出来事)」と反応するしかなかった。

A君は「だって、ボクはその箱の中身を知らないんだから、聞くしかないじゃないか」と言って、B君に答えるように迫る。

B君は少し間を取ってから、「クッキーが入っていた」と答えたのだった。



ーーー
A君はいわゆる「ボーダー」よりも低いIQとの診断だそうだ。
そして、感情のコントロールの課題を抱えている。
「怒り」の表出に特徴がある。

例えばこういうことがあった。

C君は気分が変容しやすい特性がある。
だいたいC君の特性を知っている人は、C君が機嫌が悪そうな表情をしていると、あえて関わらずにそっとしておく。落ち着くまで穏やかに無視をするのだ。
しかし、A君はC君の特性について理解が出来にくい。
A君は機嫌の悪そうな表情をしているC君に、「C君、ごめんね」と、突然謝ったのだ。
特にA君は何も悪いことをしていないのに、である。
A君なりにC君の表情が「怒っている」と見えて、自分が悪いことをしたのではないか、または何かに対して腹が立っているのではないか、と考えたのだと思う。

予測不可能ないろいろな出来事や人の行動に対して、どうとらえたらいいか、受け止めたらいいのかについての「不安」、「恐怖」があるのかもしれない。

A君は例えば、パソコンでゲームをするとき、新しいゲームに対する関心もあるが、どうやったら先に進めるのかなどが分からなくなると激しく怒り、パソコンの電源を激しく落とす。
周りの子達がマイペースで進めていることが悔しくなり、邪魔をしたり、焦らせたりする。
周りの子達は決して納得して進めているという訳ではないのだ。
よく分かってないことがほとんどである。
強くこだわっていない。
すぐにゲームオーバーになろうがただくり返す、それだけでも満たされているのだ。


ーーー
特別支援学級の定員は8名。
学年は様々。
障がいも様々。

通常学級の子ども達は、少しずつ関わる中で、支援学級の子ども達の特性を理解していく。
はっきりとは言えないけど、「違い」が分かって、優しく関わることを学ぶ。
支援学級の子達の感情の激しさの傾向についてもなんとなく感じ取っていって、出来れば機嫌を悪くしないようにしたい、という気持ちを持てるようになっていく。
「ボクがする!」という主張があれば、楽しいオモチャであっても、答えが分かりやすいパズルやゲームでも答えを教えることをせずにヒントを出してみようかな、なんてことを考える様になっていく。出来た時の喜び、正解だったときの嬉しさの表現が支援学級の子達はとても豊かである。
その感情の豊かな雰囲気は、近くで見守る人たち、子どもであれ、大人であれ、癒しに包まれる。(気がする)

課題(障がい)を抱える子に関わる周りの人たちの心は、課題を抱える子達の存在によって確実に優しく育つ。優しさを引き出してくれる、ともいえる。
課題を抱える子達の心に、純粋な優しさがあるからである。
感情のコントロールに向き合うことに必死な子にも必ず優しさがある。

何度も何度も「怒り」と接する中でも、その優しさの存在を忘れないことを肝に銘じたい。
君たちの存在が、私の存在を実感させてくれるのだから。



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ベテランの大人の皆さん。
あなたにもし子どもがいるのなら…
あなたの子どもの存在からあなた自身の存在価値をあなた自身が認めて下さい。
あなたに憎しみや恨みやコンプレックスを与えるためにあなたの子どもはこの世に生まれてきたのではないのですよ。
あなたの子ども達は、あなたという存在がたしかなものだ、という確実な証拠です。

あなたよ、善く、生きて下さい。

子どものいないあなた…。
あなたの存在がどれほどの純粋な人たち、子ども達の心を温めるでしょう。
ただあなたがいるだけで微笑み返してくれる無邪気なただすれ違っただけの子どもの心に気づけた時の幸せ。

あなたよ、善く、生きて下さい。




KAZU |MAIL