ふつうっぽい日記
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2011年06月08日(水) 「操作されて」

言葉の発達の課題を抱えている人たちは、伝わりにくいイライラを行動で表現してくる。
例えば叩く、蹴る、押す。

このところ、体調不良で欠席が多いA君。
A君の中で「支援員」という存在は対象児童がB君であった場合、複雑に映ると思われた。
「担任」という指導者の存在の意味は分かりやすい。
同じ学級でもいわゆる「通常の学級」であると、そこまで複雑には映らないだろうとも思われる。

A君は、微妙な立ち位置の私が気になるために、A君は私を動かし(操作し)、低学年の子のそばに座らせた。担任はその時、中学年の指導をしていた。
A君の席は後方であり、まるで「校長先生」のように堂々としていて、「これでいい」と言いたいかのように納得の表情。

次はパソコン室への移動で、その時にA君は私を職員室に動かした(操作した)
少しでも動こうとしようなら、威嚇の表情をする。
少し、時間を置いて、パソコン室にこっそりと入室した。
30台ほどあるパソコン席の奥にA君は座っており、死角を狙って、入り口すぐの低学年の子の近くに忍者のように寄り添った。
低学年の子は自由にゲームをしていいと言われていたらしく、「○○ゲームがしたい!」と言ったのでその画面を開いてやった。

やがて、A君の近くでB君が「先生、ちょっと来て下さい!」と叫ぶ。
担任は対応出来ない。
私を見つけたB君が私を呼ぶ。
A君は私を再び職員室に移動させようとするかしら?と、少々緊張したのだが、違った。
ゲームをしたいといったB君の希望を叶えてやった姿をしっかり見ていて、B君と同じゲームをしたいと私を「操作」したのだった。
さらにその姿を見ていたC君が同じように「操作」してくる。



この大人はいったい何のためにこの場にいるのかの理解。
「支援員」という立場は、微妙で戸惑うこともあるが、潔く子どもに「操作されて」自分の価値をふり返るのもよさそうである。

そして、価値が子どもにとってあまり意味がない場合や関わってほしくない場合は、「排除」という「操作」をしてくる。日々の関わりの積み重ねによって、信頼関係が築かれる。
メインは担任である。

期間限定であっても、「操作されて」「排除」されても、粘り強く子ども達を見守る大人。
それが支援員なのだろう。



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例えば6人という少人数の学級。
30人という学級。
一人の担任の目が行き届くには限界がある。
一人当たりを「見る」時間も変わってくる。

少人数の学級に籍を置き、「交流」の時間に30人学級に移動する時。

31人学級となり、担任はそれでも一人。

今日、少し切ない状況に触れた。
音楽の授業を「交流」学級で受けることになっていたB君。
10分くらい遅れて交流の教室へ行ったのだが、教室には誰もいなくて、切なさと怒りのような表情で少人数学級に戻ってきた。
音楽室に移動したのかもしれない。
もう、時間も少ないため、少人数学級で「国語」のプリントをするB君。
B君は「国語のプリントが終わったら、先生、一緒に遊ぼうね」と、純粋な表情で伝えてきた。


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今学期の任期も間もなく終了。




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