ふつうっぽい日記
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「器」の大きさや、「気持ち」の強さとかについて。
テレビで著名人、例えばスポーツ選手などが「自分の弱いところが…」と、自分の「弱さ」を言葉にする場面を最近よく目にする。
なるほど、自分の弱さを知ったら強くなれるということだろうか。 5月20日にメモ帳に殴り書きをしていた。 「自分の弱い部分を知ったことは最高の強みである」
まもなく夏本番だ。 夏と言えば、受験勉強。 「弱点克服」なんていう言葉を思い出す。 これは何も受験に限ったことではないけれど、高校受験のために中学時代「弱点克服するぞ!」と意識して勉強をしたことが思い出された。 我ながら素晴らしいところは、「弱点」を知っていたということである。 どうも避けてしまう領域の学習を自分自身は知っていたのである。 それに対して「えい!」と向き合うか「まだいっか…」と見送ってしまうか。
私は数学では「食塩水」の問題が苦手であった。「%」とか「割合」が文章題に入っているとやる気が減退していた。ある時、「食塩水」の問題ばかりを延々と解き続けた。 すると、だいたいのパターンがあって、後は数字が変わるだけだということが分かった。 割り算やかけ算は得意ではないが理屈や方法は納得できていた。
その中学時代から何年か後、中学生に私は学習を教えるアルバイトを選ぶことになる。 近所の男子中学生をちょっとしたきっかけで教えることになった。 その子もまた「食塩水」問題を見ると目に見えてやる気を失っていた。 自分の経験から、同じようにくどいくらいに「食塩水」の問題をさせた。 やる気がのるまでが勝負ともいえる。 あとは「ほらできた。」「またできた。」の積み重ねで得意げな表情に変わってきた。
この子との関わりについては、何かのおりに日記に登場させたような記憶だ。 「生徒指導」的な対処をせざるを得ない状況にもなったし、保護者との関わりから学ぶこともあった。「声変わり」という時期も通過した。
保護者との関わりの印象的だったエピソード。 生徒との学習が終わると、お茶などを持ってきてくださる。 そこで話をするのだが、だいたいが家庭内で母親が知ることになる息子の悪さ加減についてであった。私に話して幾分かすっきりしてくだされば…という想いがその時に私の中にあったのかどうかは分からない。でも、今思うと、母親にとっては貴重なひとときであったと思われる。 しょっちゅう、悪さをする息子、テストの点数が悪い息子を叱っていた。 ご主人の両親と同居をされてあり、おばあさんともおじいさんとも多少喋ったことがある。 おばあさんは、「悪さをしたらこの布団叩きで遠慮なく叩いてくださいね」と私に言って、本当に布団叩きの棒を入り口に立てかけていったほどである。 息子も正直であり、母親から叱られた内容について熱く私に語ってきたものである。 彼もまたそうやって、「語る」ことで自分の行動を再び整理するきっかけになっていたと思われた。不注意からぼや騒ぎを起こした時は丸坊主にして、近隣のお宅を母親とともに謝って歩いていた。
そんな育児に苦戦する母親でも、母親自身の自分の価値が認められたいという思いはあるのだ。
その母親が「ワープロ教室に通い始めたんですよ」と言って、嬉しそうに入力してプリントアウトした書類を私に見せてきた時のことは私は今でも覚えている。 意識して、「この母親を認めてあげる役を担うのが今私がすることだ」と思えたのである。 私にしてみれば、その作業自体はどうってことないことであるが、そうであるからこそ、私にとって些細なことでも熱く嬉しそうに私に伝えてくるこの女性の存在価値のようなものを認めたくなったのだ。
母親の頑張っている姿を第三者から子どもに伝えられると子どもの心はほんわかする。 逆を考えるとどんな影響を与えるか。 「お前のかあちゃんデベソ」というフレーズがよぎる。 「ボクのおかあちゃんを悪く言うな!」というメッセージもまた子どもの心を成長させる。 言葉ではなくて行動でそれを伝えることも多い。 その言葉無きメッセージを読み解いていけるだろうか。
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別のある場面での別の子のエピソード。
「ボクからお母さんには言えないから先生からお母さんに電話して伝えてよ」という言葉を私は偶然聞いた。
水筒を持ってくるのを忘れたらしい。 水筒の準備から忘れられていた様だった。 その日は朝から猛暑。 信じられなかった。 おそらく、子どもも「今日は水筒がない」と分かっていたのだと思う。
「お母さんは仕事で忙しいから言ったらかわいそうやもん」
なんという気遣い。 そんな気遣いせんでいいんよ…と言いたかった。 この子なりの優しさである。 でも、こういう想いは母親には伝わりにくい。
「今日、水筒が入っとらんかったとよ!喉が渇いて死ぬかと思った!」くらい言ってもOKなはずである。
同じような状況で、この子は毎日持っていくようになっている「お箸」をある時期から持ってこなくなった。おそらく、紛失したのだと思う。 でも、そのことを母親に言えない気持ちを背負っている。 他にも鉛筆など文具をしょっちゅう紛失する。 興奮しているときに、自暴自棄になり、色鉛筆やクレヨンをゴミ箱に投げ捨てていたこともあった。もちろん、その子が下校してから保管するのであるが。
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「言わないのではなく言えない」
「正直に言いなさいっ!」と大人が感情的に子どもに迫る場面もよく見かける。
「言える」環境を考えると、穏やかな雰囲気のほうがいいに決まっている。 叱りながらも包み込むような穏やかな雰囲気を作ることができる大人もいる。 だからといって、優しい表情で笑顔で「君は悪いことをしたんだよ」と言われると違和感があり気持ちが悪い。
「器」の大きさや、「気持ち」の強さとかは、実際にはものさしで測って比べるものではない。 けれど、相手の立場にどれくらい寄り添って自分の言葉や行動を発しているのか、の奥行きはおそらく第三者からすると見えてくるのだと思う。
大切なことは子どもから教えてもらっている。
忘れ物を届けに来てくれるお母さんの存在もまた子どもにとっては大きな支えになる。 その後、どう動くか。
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