ふつうっぽい日記
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2011年08月05日(金) 「私」でないといけない理由などない

「私」でないといけない理由などない

と言って、その場から逃げようとネガティブな道を進む決心をしたという意味ではない。


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対人援助に関わっていた初めの頃、「私じゃないといけない」という気持ちに支配されていた。
ここまでやっと築いてきた人間関係。
その続きを次の他者に渡す、という時。
「私じゃないといけない」という気持ちは、その次の他者へ期待する思いに重ねてしまう。

この人に私の思いを知ってもらって受け継いでもらって…。

何年か経って気づかされる。

「私」の人間関係は他の誰かにそのまま伝えることなどできはしないのだと。
さらに、その時の「私」はすでに過去の「私」であって、今の「私」であればまた別の人間関係を築いていけるのだ、ということ。

他者を変えようとすること、「私」の型に収まってもらおうとすることは、なんと小さいことか。


そして、関わられた側の人間だってより善く生きる気持ちを持っているのだ。
力を持っているのだ。

「あの先生の時、こんなことやっちゃったけど、先生困ったやろうな…。
もうこんなことせんようにしよう」


やられた、言われた「こんなこと」や「あんなこと」。

人によって経験が違って、受け取り方も考え方も異なるのだから、同じ事をやられたり、言われたりしてもどうその状況を乗り越えるのかは人それぞれ。

でも、だからといって自分との関わりについての一切を共有しない、というのはなんだか無責任、無関心に思えるわけで。


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こんなことがあって→「!」
こうなってしまって→「…。」
どうしてだろうなって悩んで→「?」
こうなのかもしれないって思ったら→「!」

その通りで→「☆」

また別のこんなことがあって→「!!」

こうなってしまって→「…。…。」
どうしてだろうなって悩んで→「??」
こうなのかもしれないって思ったら→「!!」

その通りで→「☆☆」


また別のこんなことがあって→「!!!」

※こうなってしまって→「…。…。…。」
※どうしてだろうなって悩んで→「???」
※こうなのかもしれないって思ったら→「!!!」



※その通りで→「☆☆☆」


※また別のこんなことがあって→「!!!!」


「※」の繰り返しなのかなって思う。
「その通り」思った通りの「☆」の数みたいなものが、結果として自信に繋がっていくのかなって思った。


物事に折り合いをつけていく過程で、「☆」で歯切れ善くしっくりとけじめがつくような感じを持てる時もあれば、「!!!!!」動揺や衝撃を受けて間もなく、さてこれから悩もうとする時に関わりにひとまずの幕を下ろさねばならないという時だってある。


「ストレス耐性」という言葉がメンタルヘルス関連の本に載っていた。
ストレスを取り除いてやる、という関わり方もあるが、ストレスに対処していく力を育む、という視点もある。


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「私」でないといけない理由などない。

「私」を新たな場で試し、向上させていくためにも、その場にだけ「私」を留めることにエネルギーを使わなくていいのだ。

一期一会。
別れは出会いのはじまり。


「もう、ぼく、給食、先生がおらんでも大丈夫やけん。」
この言葉は、確かな「ぼく」の成長。


これから出会う「ぼく」や「わたし」のために、たっぷりとやすらぎの時間を大切にしよう。





KAZU |MAIL