ふつうっぽい日記
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2011年08月19日(金) 迷子の迷子のレンズ

何のことかというと、コンタクトレンズが目の中でずれて迷子になった。

こういうことは、時々あって、たいがい鏡を見ながらグルグルと目を回したら上瞼から折りたたまれたレンズがほろりと降りてくる。

今日もそんな感じか?と、思ったら、簡単にはいかず、目薬をしてグルグル回したり瞼を触ったり30分してもダメだった。

気分転換のため別の作業にとりかかる。

時々手鏡をみて、降りてこないかを確認。

母に尋ねることがあってメールをしていたが、返事がないこともあって、自宅に電話してみることにした。

なんだか元気がないボイス。
にもかかわらず、「元気にしてますか。体調はどうですか。」などと私が気遣われる。
優しさなのだろうけど、慣れない言葉で(シンプルなのに)動揺する娘。

正直に、現実的なことを言う。
「小一時間くらいコンタクトレンズが目の中で迷子になっているのが、今、気になる一番の問題だよ」

少しそのことで雑談。
いくつかの間があってその度にちょっとした会話をする。
終話のきっかけは、「お父さんがお腹減ったメシはまだかって言っているから…」だった。

こういう時は、人のせい(口実)にするのは自然だな、と思った。

ついでのように広がっていた会話の中身では、さりげなく濃厚な内容が含まれていた。10年以上、私の中で気がかりなことだった。直接自分自身に関わることでないだけに、その気がかりな事について話題にすることは出来ないでいた。
自然な展開で真実が聞き出せたと思った。

その時、自分の中で確信した。
今の私の人生、自分自身を奮い立たせて、関わっている領域(支援)は進み続けるべき道なのだ、と。

自然な展開で自分の知りたかったことが聞き出せたという経験は、私にまた一つ確実な勇気と自信を与えてくれた気がする。

母さん、あなたという存在がいたからこそ。

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母との電話の後、鏡を見たら自然にほろりとレンズが降りてきた。

自然モデル。

確実にバランスが取れてきている、この感覚。

この経験まるごと、そのまんま、勇気と自信にするね。


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レンズが迷子の後の、ちょっとした会話。
この流れ、「仕組み」は、「傾聴」と言われるものだと考察。
母にしてみれば、ただ、「へぇ」とか「はぁー」とか適当に相づちを打ちながらただただ聴いただけだが、結果として私は迷子のレンズを見つけて、違和感を取り払うことができた。

もしかしたら、同じだけの時間、別の何かをしていたとしても、同じ結果になったかもしれない。
でも、曖昧そうな関わりの現実をいかに価値づけ、意味づけていくか。
そこに人間性みたいなのだ出るなと思われる。


BGMは、「ハナミズキ」。

「ハナミズキ」をネットで気ままに検索していたら、「底抜けに明るい花」とあった。

幼少時代、「暗いネ」と言われてからかわれていたこともあったな。

「明るい花」は、じっくりじっくり時間をかけて、周りから支えられながら、確実に咲いていくんだね。



KAZU |MAIL