ふつうっぽい日記
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2011年08月21日(日) 照らされた「支援」への道

身近で聞いたエピソードで消化中の内容を整理するために書き残しておく。
私の中で揺らぐ、個人的な「怒り」を正しい方向に導くためともいえる。

20代前半からとある「持病」と向き合って、「再燃」予防のため、長期的な薬物療法による治療が必要な状態にある30代中盤の女性。
急性症状がおさまって、「薬を飲まなくても私は大丈夫なのかもしれない。」と過去に3回、薬を飲むのを勝手に止めて、急性症状により周りにいた人間によりかかりつけの病院もしくは滞在先で救急搬送された。

かかりつけの病院ではない滞在先での救急搬送。
1週間の入院と1週間の自宅休養をするにあたり、勤務先へ診断書が提出される。
その診断書の内容についての医療機関側の対応が腑に落ちない。

彼女の持病は、「統合失調症」である。
これは医師も認めている。定期的に通院し、薬を飲んでいることも患者自身や家族により伝えられている。

にも関わらず、診断書には「自律神経失調症」と書かれたそうである。
医者に、「そんなので、本当にいいのですか?」と患者を支える家族は素直な疑問の声を放った。
もしかすると、患者本人も同席していたかもしれない。
医者は、「いや、(統合失調症とは)書かない方がいいでしょう。そんなことをしたら、大変なことになりますよ」と言ってきたそうである。

「患者の権利」という言葉がよぎる。

「大変なことになる」というのは、患者の立場を配慮した言葉とは私には思えない。


それは、例えばこういうことに似ていると思う。
婚約者に持病のことを打ち明けずに秘密にしておく。
持病を持った人に寄り添うことになる第三者にそのことが知らされないことによって生じる不利益、不幸。

明らかな診断名があるにもかかわらず、その診断名によっての緊急な状態であることを記載しないという行為。その診断の内容を悲しみや苦しみを乗りこえ、受容してきた患者や患者を支える人たちの今までの人生を医者は察することはできないのだろうか。

勤務先への説明に医者という専門家に責任と使命感を持って答えていただくことは求めてはいけないのだろうか。あつかましいのだろうか。

「統合失調症」という名称は、2002年8月に、「精神分裂病」に代わり用いられることになった。彼女の発症は2002年8月以前であったことを察すれば、侵襲的とも思えるこの診断名に、患者本人や家族にとっては相当に受け入れがたい状況であっただろうと想像するのはそう難しくない。

だからこそ、その診断名を使わないことが配慮、というのは弱い人の使うウソだと思う。

今日の精神科病院では10年以上入院している人は約3割に及ぶのだそうだ。
その多くが「社会的入院」という、退院しても帰る場所(自宅)や地域にないことによって入院を継続していくしかない状況なのだそうだ。

2003年度に策定された、障害者基本計画「重点施策実施5か年計画」厚生労働省関係部分の概要によれば、「精神障害者施策の充実」の枠の中に「・精神科救急医療システムの整備(全都道府県)」という文字があった。
さらに、「考え方」のその計画の基盤には「社会の対等な構成員としての人権尊重」「自己選択と自己決定の下に社会活動に参加、参画し、社会の一員としての責任を分担」「活動を制限し、社会への参加を制約している諸要因の除去と、能力発揮の支援」とあった。


「制約している諸要因」が、統合失調症なのか。

「横断的な視点」としては、「社会のバリアフリー化の推進」「利用者本位の支援」「障害の特性を踏まえた施策の展開」「総合的かつ効果的な施策の推進」があげられている。
「分野別施策」では、1番目に「啓発・広報」とあった。

「啓発」とは障害に対する正しい理解というのも含まれるはずである。
正しく診断名の詳細について理解する、ということではない。
そういった「障害」という「課題」を、長期的あるいは生涯にわたって自分の一部として受容して生きる人そのものの存在についての理解だと私は解釈している。

見た目から分かる障害は、穏やかな対応が取りやすいところがあるが、そうでない場合も多くあるはずである。見た目から分からないのであるから、量的に多いとか少ないなどとは言えないが、そのことを想像することは難しくない。


統合失調症は、全般的に「軽症化」が医療現場で指摘されるようになったという。
「人格荒廃」といった著しい事例が減ったことや、薬の進歩によるものらしい。

「精神」に関わる問題であるので、発達障害や気分障害といった障害の境界が曖昧で、判断が難しい領域である、というのも理解できる。


「うつ状態」といっても、何だかの主たる病気の二次障害であることであるように。

私自身は「不安」や「怒り」のコントロールが、私の人生の課題であると思っている。
自分自身を知るということを基本に据えて、周囲の環境として存在する一個人、人間であることを自覚し、同じく周囲の環境である他者について、その存在を尊重するための深い理解と態度を身につけていきたい。


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「…服薬援助が患者支援における中心的な課題であることは今日も変わりがない。特に結婚や出産をめぐって患者の不安が強まることが多く、周囲がよく患者の気持を理解し支える必要がある。」

編著者 石丸昌彦 『今日のメンタルヘルス』財団法人放送大学教育振興会 (2011年)
118頁より抜粋



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