ふつうっぽい日記
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2011年08月31日(水) |
「私」の開きかけたフタを支える物語 |
「その日は雨が降っていた」と、四十代後半にさしかかった会社員A氏は前ぶれもなく語り始めた。
会社では責任ある地位に置かれ、A氏は流通の担当から畑違いの経理に異動になった。 A氏の上司と、「私」は面識があり、共通の仕事を持っていた。 だからといって「私」の仕事は経理の領域というわけではない。
なぜだか、A氏の上司という方は、「私」によく声をかけてくださり、結構笑顔でジョークなども飛ばしてきた。後に聞いた話では、A氏の上司の妻である方と、「私」は似ているところがあったらしい。
A氏が「私」に語ってくる前。
「私」はA氏に、A氏の上司が「私」に丁寧にかかわってくださることを世間話として伝えたことがあった。A氏の反応は、「私はあの人とは虫が合わない。私に向かって、お前がいるとしらけると言ってきやがったから。君は綺麗だから、気をつけた方がいいよ。あの人は何をしてくるか分からないから。」といったものだった。
A氏は、慣れない経理という仕事に対してと、上司との人間関係にストレスを抱えているように映った。
A氏は「私」に、「飲みに行こう」と誘ってきた。 「私」は、少し迷ったが出向くことにした。
その頃の「私」は、「父親」との関係にギクシャクしていて、A氏に対して「父親」の理想像のようなものを重ねていた。 これは、何年も後になってから気付いた。
語りの体勢に入ったA氏。 うっすらと涙を流していた。 A氏は無邪気な少年のように「私」には映った。
「その日も、今日みたいに雨が降っていた……。 小学生の時に、私のおふくろは死んだ。 今日みたいな雨の音を聞くと、その時のことを思い出してしまう。」
A氏は周りの景色が目に入ってない様子で、「私」の前で、子どものように泣きじゃくったのだった。
「私」は、その場に特に共感といった感情を抱かずに、ただただ居続けた。 「私」は、周りの景色はほとんど覚えていなかった。 仕事の時に見るA氏とのギャップに動揺を抱きつつも、真面目一筋だと思っていたA氏の意外な一面を見られて安心感のようなものを「私」は抱いた。
なぜか「私」は、A氏の、この行動を他の誰にも言う気持ちを持たなかった。
結局、「私」とA氏は三回ほど一緒に食事をした。
そして、ほとんど「私」は、A氏の語りにただただ耳を傾けるだけだった。 上司の愚痴のようなものが多くを占めていたが、二回目の後半。
「君と一緒に死ねたら幸せなのかもしれないなぁ」と、A氏は「私」に言ってきた。 さすがに「私」は、A氏が何を伝えようとしているのかに集中する必要が出てきた。
「え?ちょっと、待ってくださいよ。私は死にたくないですよ。何を言っているんですか。」 と、「私」は、A氏に言葉を返す。 さらにA氏は、「今、ボクとの子どもが欲しいって言ったの?もし、ボクと君との関係で子どもができたらその時は責任を取るから」と、聞き捨てならないようでいて、よく分からないようなことを「私」に言ってきた。 そして、さらにA氏は語った。 「私の子どもは2人いて、1人は妻と一緒の部屋で寝ているんだ。 もう十分に1人で寝られるくらいの歳なんだけど、……。」
三回目にA氏と会ったのは、「私」の送別会の日だった。 「私」は、結婚のため、「寿退社」をしたのだった。
A氏と「私」は、その日を最後に会っていない。
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「私」が、結婚前であったこと。そして、「父親」との関係。
一方「A氏」は、四十代後半という、いわゆる揺らぎがちな「働き盛り」であった。 さらに、A氏は、その日がたまたま「雨の日」であったという条件によって、今まで抑えてきた、亡き「母親」への想いのようなものが、思いがけず溢れだしてしまった。 その場に、たまたま、同席することになった「私」の静かな揺らぎ、葛藤。
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「私」は「今」を生きている「あたし」ではない。 「私」から「あたし」へ、「開きかけたフタ」への対処を委ねてこられたゆえに、紡がれた「支える」ための物語としての消化の一つの形だ。
A氏によって語られた思いがけない言葉を、繋ぐ「私」としての統合のための物語であるともいえる。 「愛」のようなものが欠落していたと後に気付くに至った、ある「私」という存在を使った物語である。
もしも、A氏との関わりに「私」の中に確実な「愛」があったとしたら、残酷な現実の物語が展開していたのかもしれない。 確実な「愛」を知らなかったゆえに、A氏は「私」から「ボク」へ一時的に潔く「退行」のような行動を取れたのではないか。 A氏の現実の家庭を顧みた時に「ボク」から「私」に戻っていることが、物語としての一つの安定した「落ち」に導いている。
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ただ、聴く、という行為。
私も「私」のように、ただ「聴く」という機会になぜだか恵まれ、「聞き上手」だと言われることもあった。それは「話し上手」ではないこと、「話す」頻度が低いということを遠回しに指摘されていたのかもしれない。
私は今、思う。 「聴く」のは簡単な様で、微妙な、時としてリアクションに困る内容を話し手が話を終えるまで聴き続ける義務のような葛藤と闘うことがある。 しかし、何も心理カウンセラーとして専門的に聴いているのではないのだから「義務」なんて思わないでもいいはずなのだが、なぜだか、たまたま「聴く」という流れに自分が置かれていると意識するとそのことを続けるのが必要かもしれないといった考え方の癖が支配してくる感じがあったのだ。
「聞き上手」と言われていることを、確実に自分の中の特徴のようなものとして定着させたかった願望があったのかもしれない。
「ただ、そこに居続ける」ということが、「私の役割」のように意識されてしまう機会に恵まれている気がする。
「感受性」や「感性」が必要だとか大切だとか言われるが、その自覚というのは自分の中で意識できるものなのだろうか。誰か第三者から見て、「あの人は感受性が……」と語られるものなのだろうか。
「ただ、そこに居続ける」ということ。 「そこ」が、私の居場所なのだと思う。 「そこ」を、今、私は意識して広げようとしている。 「そこ」である「居場所」を特定していくことが、「専門」や「その道」なのかなとは思う。
何か一つの「専門」や「その道」に、偏るため、いずれ選び抜くために「ただ、そこに居続ける」というよりは、「ただ、そこに居続ける」そのものをただ続けていくことしかしない「道」が気付くと自分の後ろにできていた、ただそれだけの人生なのかもしれない。
ただそれだけでも、満たされていると感じて日々過ごすことは、何かが足りないのだろうか。
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