ふつうっぽい日記
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2011年09月03日(土) こげんあるとですなぁ

福岡の70代くらいの、おじちゃんが言いそうなセリフ。

「そっか……。こうなっちゃうのね」という表現と同じような意味。

話題を2つばかり。


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9月1日返却期限の図書館の本。
5日だと思い込んですっかり忘れていた。
ネットで延長手続をこれまで3回してきた経験があり、今回も延長するか……。
と、ログインすると赤文字で返却日が表示。

しまった!
こんな経験は初めて。

以前の私なら、すごく焦った。
どうしようどうしようどうしよう。
何て言って返せばいいだろう。
どうしようどうしようどうしよう。
閉館してからポストに入れちゃう?
でも、でも、でも。

ちょっぴり、変わった私は冷静だった。
起こってしまった現実を謙虚に受け入れる。
開き直りとも違う。
潔く、素直になればヨシ。

窓口に本を差し出しながら「すみません!2日、遅くなりました!」と素直に告白。
司書さんは穏やかに私のことなんて責めず穏やかに「はい。全て返却いただきました。」と言って下さった。「次回からは……。」という注意の言葉もなくて、穏やかさが申し訳ないくらいだった。

そのことを別のところで話題にしたら、司書経験のある方が、数日遅れたくらいで「すみません!」と言う人は「なんていい人なの♪」と思うとのこと。
返却期日は一般常識だけど、結構多くの人は返却期日をまるで気にしてないかのようなのだそう。
本の表紙が読む時に気になるからという理由で勝手に外して、そのまま返却する人もいるそうだ。
紛失してしまったり汚してしまった場合は弁償することになっているが、理解していただくのに苦労する状況もあるらしい。一方では、許容範囲の汚れなのに、何度も何度も謝罪をして新しい本を持参してくるという方もいるらしい。

うっかりであっても、期日は期日。
次にその本を手にする人のことを思えば出逢いのチャンスをうばっている。

とはいえ、謙虚に冷静に対応できた経験は私にとってはプラス。
こういうことも日常生活ではありうる。



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福祉、教育関連のコミュニティ。
「当事者」と自己紹介してあった方。
経験したものでないと分からない!
一般的な家庭でぬくぬくと育った人たちに私たちの気持ちが分かるわけがない!
といった憤りを文字にされてあり、怒りが伝わってきた。
その方の怒りの先は「先生」。
「先生」と呼んでいるのは、学校教師だけではない。
その方は「先生っていったい何か」ということを投げかけつつ、「先生」を教育する役割になるために邁進していくことを宣言されてあった。

「先生たち」
「私たち」

一括りにしてしまいたくなる。
その気持ちは分かる。

「先生」というのは、「たち」を付けなくても、ある一個人を意味しないのだけれど。

「私、学校の先生なの」と言った時、共通するようなイメージがある。
現場では、栄養士の方であっても、事務職の方であっても、小中学校では「先生」と呼ばれて区別される。


「私たちは苦しみや悲しみからしか学べない」と、以前、私にメッセージを送ってくださった方がいる。

このメッセージを見た時、このメッセージを送ってくださった立場である「私」の仲間として、メッセージを受けた「私」も含まれていることが、とても嬉しかったことを覚えている。

メッセージを受けた「私」は、メッセージを送ってくださった「私」に対して、メッセージを受けた「私」の苦しかったり悲しかったりする気持ちなんか分かる訳がない!という思いがあった。

しかし、経験する具体的な内容というものが違っても「感情」は共有できるものだ。
その「感情」、例えば「苦しみ」がどういう経験で掻き出されるか、というのは、人それぞれ。
「親と生き別れになる」「戦争を体験する」「失業する」……。

「〜たち」を構成する最小単位の「私」は、それぞれに生きてきた、経験してきた背景があり、歴史がある。

誰かを傷つけた取り返しの付かない思いが日々濃くなって、人が変わったようになることもある。
いい方向に変わることもあれば、わるい方向に変わることもある。


別の例え。
「育児支援」というものがある。
関わる人に育児経験がないと支援できないのか。
育児経験していない人は排除されるのか。

たしかに育児をした者でないと想像しがたいような気持ちはあるのだと思う。
でも、共通の経験、同じ経験であっても、気持ちは一人一人違うものだ。
だからといって、「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを伝えることだけにエネルギーを注いではお互いが分からないままだ。

そうか、なるほど。
「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを表出できた関係が構築できたとも受け取れる。
ゼロだった関係がマイナスであっても動きがあったということだ。

明日、また、「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを表出してくるかもしれない。ありえることだ。

その5秒後、1時間後、24時間ずっと「経験のない、あなたになんか私の気持ちは分かるものか!」と怒りを表出してくることはない可能性が高い。

正しい怒りの表出の仕方、収め方。


「雨降って地固まる」という諺もある。
「止まない雨はない」という言葉もある。


「明日」も「昨日」も、「今日」があればこそ。
あなた、「今日」何していますか。これから何しますか。

とりあえず、今、「あなた」をしてください。
できれば、明日も「あなた」でいてください。


KAZU |MAIL