ふつうっぽい日記
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2011年09月09日(金) 学校支援員

私は「教員」として採用されたわけではないが、「学校支援員」として教育現場に関わっている。
給料、賃金はゼロである。

2ヶ月の期間限定臨時的任用職員(これも「学校支援員」に準じた任務内容)の勤務開始が11月から可能という知らせを受けて、9月、10月の空きの期間に経験を活かすような場に自分を置ければ幸せだと考え、「ボランティア」に応募したのである。

ボランティアの希望は、長期派遣が多いような傾向を感じた。
週1でもいいから年度を通して関わって欲しいという思い。

支援が必要とされる児童生徒は、変化に敏感であることが多く、せっかく人間関係、信頼関係、お互いの存在理由が共有できたところで「お別れ」となるのは、なんだか切ないようなそんな気持ち。

「変化に敏感」というのは、何も障がい児に限ったことではない。
「ふつう」として生きる人たちにとっても、新しい職場に適応していくことや、新しい人材を受け入れることは「敏感」になるものだ。

私にコーディネートされた学校は、「短期でも長期でもどちらでもOK」という希望で、2ヶ月後に予定が決まっている私のような立場としてはかなり都合がよかった。

「ボランティア」ではあるが、派遣先の教育現場では「学校支援員」という名称で名札を作ってくださり、たった2ヶ月それも毎日活動するわけでもないのに、靴箱やロッカーまでも準備してくださり、さらに、テレビ校内放送や学校だよりのようなもので存在を周知してくださる歓迎ぶり。

めちゃくちゃ、幸せなのである。

私だけ、幸せに浸っていては申し訳ない。
「幸せ」という感覚を還元するための役割、それがボランティアなのかもしれませんねぇ、「先生」。


自閉性障害の子を見守ることがひとまずのニーズとして掲げられていた。
ここで、勘違いを起こしやすい。
外部からの支援者は、ニーズの対象の人を指導することが役割ではないのだ。

現場では教育や指導の専門家が日々研究されていて、実践を重ねておられるのだ。
といっても、対象児童生徒にマンツーマンというわけにはいかないのが現状。
副担任制なんていうものがあれば、ある特定の子とその他の子達とで同じ活動をしながらもそれぞれの支援方法でこだわって学級全体を導いていけるのかもしれない。

例えば「特別支援学級」の定員は8名。通常学級は40名を超えないという基準がある。
8名に担任1名だったら通常学級のことを考えれば手厚い教育が受けられるじゃないか!と考えそうになるが、学年も特性もそれぞれ確実に違うことが分かっている8名を一人で通常学級との交流もコーディネートしながら進めていくというのは本当に大変な任務だと察する。

人手は欲しいが、その人材が非常に恐縮するほどの立場であるとか、「なんか分からないけど応募したらOKだったんで〜」という自由度の高い立場であるかによっても、探り合いのような時期を通過することになる。

ただ単純に人を付ければいい、ということでは解決しない。

外部からの支援者は、専門家の方々の動きを戸惑わせるような、自尊心を低下させるような言動や行動には十分に配慮しなくてはならない。
そして、何よりも、せっかくそれまで築いてきた、児童生徒との人間関係や児童生徒が発達してきた財産のようなものを汚すようなことはしてはならない。

そのためには、お互いの存在を尊重すること、そして児童生徒をより善く育てていくという「環境としての大人」であることの共通認識が基本だと考える。


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私が「学校支援員」として関わっている現場には、「特別支援教育支援員」という役割の方がいらっしゃる。
任務内容としては共通するところがあるが、「引き」でみると、任務をつかさどる「人間性」のようなものによって、「支援」の内容は変動するような感じである。

児童生徒と関わりながらも、連携をとる専門家との信頼関係も相互に成立していくのだ。

「この人材はどこまでできるのか」という見極めのようなことも専門家としては気になるところだと思う。
ただ、そこにいるだけで圧迫感を感じるような存在、授業参観されているような緊張をずっと持っていないといけない環境は、子どもにとってもストレスとなる。


だいたいの1日の流れとしては、2時間目と給食の時間以外は、支援学級の子達のサポートにあたる。対象児童との関わりに関しては、基本、専門家と児童との関係を支えるために周りの環境を整えることに努力している。専門家からの支援の依頼も、周りの子につくことを求めてこられる。
課題プリントの励ましや、つまずいている課題への寄り添い。
国語の教科書の漢字の仮名振り、音楽の教科書の楽譜のドレミ振り。

支援の2回目から、「2時間目の4年生への算数支援」の要請を受けることになった。
授業をする教員がいる通常学級教室が現場であり、理解度別に特別編成された算数の時間のサポート。

かつて、別の現場で「緊急措置」として授業の成立に課題を抱える学級でのサポート経験が役だった。

「寄り」で見ると、「少人数指導担当教員」との区別はつきにくいのかもしれない。
それが定期的に継続されて、学年末を迎えるなら、児童生徒にとては「副担任」と認識されても仕方がないのかもしれない。

話を戻して、算数支援。
算数支援を2回目を経験した日。
たまたま廊下ですれ違った指導者に私の支援の「感じ」はどうなのかについて尋ねてみた。
いきなりの問いかけにもかかわらず、その指導者は穏やかに対応してくださった。
授業の終わりに書くことになっている、「今日の学習の感想」に「KAZU先生と勉強ができて楽しかった」といった反応があったそうなのである。
そのことを指導者は思い出して、私に伝えてくださったのだ。

「指導者」のように分かりやすい授業をやってみたい!授業方法について研究したい!という意欲は私の中ではないこともないが、順位は下である。

例えば黒板の文字を写すのに苦労している子の存在を認めて個別にアプローチする、という「個」への関わりについてなら、いろいろと経験を積みたいし、その背後に関連する発達的原理や心理といった領域についても学びとして深めたいという気持ちが大きい。
指導者の思いを児童生徒に通約のようにかみ砕いて伝える、ということも考えるだけでワクワクする。


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「英語しか通じない子ども」が転入してくるという知らせが耳に入った。
1年生だという。
保護者は大学関係者(研究者?)という情報で、おそらく、保護者としては日本語は通じるのかなと思われた。
海外から異動してこられたばかりでもあるらしい。

想像であるが、保護者のどちらかまたは両方が日本人で、今まで海外(英語圏)で暮らしてきたので家庭でも外(学校等)でも英語でコミュニケーションを取ってきたのではないか。

日本への赴任が一時的なものなのか、それとも末永く暮らし続ける土地として移住を決意したのかは分からないけれど。


事務職や専科教員等と共に過ごす給食時間に「英語が喋れるか」についての話題が、流れた。
その時、私は「なんとなく何を言っているのかは分かるけれど、それに対してどう返したらいいのかはちょっと微妙だ」といったような発言をした。「聞いて分かるだけでもすごい!」というツッコミもあった。「私なんて洋画の字幕を見ても分からないですよ」という反応も。

まぁ、だからといって、洋画を字幕無しで見ることに関心があるかというと、順位は下である。

私の中では、言葉の発達が途上である子と関わることに似ているという感覚だ。
日本語を喋っているのは分かるけど、器質的な機能の障がいによって音声でのコミュニケーションに工夫が必要という状況にも似ている。

その時、ジェスチャーを使ったり、言い換えたり、どうにかして意思疎通をはかろうと試行錯誤をする。それが、私の「英語」の関心を支えている基盤になっているともいえる。

他者を知ろうと歩み寄ると、自分自身の存在についても認めてもらえているような気がして、多分、そこからちゃっかり「喜び」「楽しさ」「満足感」みたいなものを自分の中に取り込んでいるのだと思う。


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「先生」、楽しくなってきましたよ。

「先生」とは誰か。
これについてはまたいつか。



KAZU |MAIL