ふつうっぽい日記
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2011年09月13日(火) 不思議な体験

今日は不思議な体験をしました。

「ストレス」が身体の中を通過(消化)したのを意識化できたような複雑な状況であり、そして、「ストレス」がたしかに正しい方向へ前向きに浮上していたのが分かったみたいな感覚。

冷静になってふり返ってみました。
引っ越してきての学校活動。

5月6月でした。
派遣先は馴染みの場所。管理職の一部は変わっていましたが、「おかえり」と言って下さる方の存在に支えられ、リハビリ復職も順調でした。

そして、この9月10月。
ただ出身校である、それだけでのほほんと選んだ派遣先。

活動内容は「経験済み」であるゆえに、活動内容そのものに対しては、たいしたストレスとして意識に上がってきませんでした。
しかし、「環境の相違による」ストレスは正しく認識されていたんですね。
残念ながらその「ストレス」みたいなものは、なんとか意識に浮上させようと努力するものも(気にしない、気にしないという抵抗する気持ち)「抑制」によって、せめぎ合いのようなものが起こり、結果として「疲労困憊」状態になります。

多くの人が新しい現場では、そこそこのやる気をもって、適応しようと頑張るものです。そして、多少なりのストレスを認識して対処しながら、やがて環境に馴染んでいくようになります。
新しく人を受け入れる側も、同じようなストレスに対峙することになります。

私にとっては久しぶりの「ストレス」とのご対面でした。
正しく心身が反応しているということであり、自分でそのことに気づけたということは重要なんですね。
「ストレスとのご対面」の最中、(つまり「どん底」)というのは、なんだかやる気が出ないし、いろいろと不安のセンサーも敏感になります。

今朝、動悸のようなワサワサした気持ちが立ち上がった自覚がありました。

今日は、担任が途中で不在になり、「頼みますよ」と言われたプレッシャーを考えると倒れそうな想像をする自分がいました。想像では、「今日気分が悪いので休ませてもらおうかな……」という超ネガティブなモードでした。

そういえば、と。
「お守り」として処方していただいていたお薬を思いだし、一錠飲みました。

そして、夫から「外をごらんよ。雲一つない青空だよ」と言われ、ベランダに出ました。本当に雲一つない晴天で、自然によって私はかなり癒されました。

その時、ふっと、頑張りすぎていたことが自覚としてあがってきて、担任の先生に「先生がいなくて(子ども達、そして私)大丈夫かなぁ」と正直に言ってみようという気持ちがあがりました。

担任の先生は10時から不在になるので、その前に、私は担任に接触を試みました。
「先生がいなくて大丈夫でしょうか……」

すると、担任の先生は「この子等がちょっと怒られるくらいで、あとはまぁなんとかなるでしょう」という楽天的な感じであり、「先生は何歳なんですか?」と担任の先生が話題を変えてこられたのです。
コミュニケーションの雰囲気がいい感じに変わっていったのです。


朝のストレスの意識化は、正直、去年の通院生活を想起させ、どんより視野も狭くなるような気配に支配されて、きつかったのですが、考え方を変えて、行動に移した(ロールプレイングを実行した)ことで望ましい精神状態に発展させることができたのです。


給食時間では支援員さんと図書事務の方を一緒に給食を取り、「今、はりきってやってきて、ど〜んと疲れが来ている時期という感じです〜」と正直に気持ちを言葉にすることができました。
担任が不在になる事への不安も正直に話題にできて、支援員さんが動いてくださり、なんとか気を張った1日を安全に終わらせることができたのでした。

帰り際に職員室に教頭がおられて、「どうでしたか?」と声をかけてくださり、「動きはありましたが、まぁ、想定内でした。」と伝えて、「お疲れ様でした」と笑顔で送り出していただけました。


帰りの道では、見知らぬ幼稚園児くらいの子から、私が何も言ってないのに「こんにちわ」と挨拶をしてくれて、私も自然に、挨拶をしたいスイッチが入って、たまたま、のんびりと歩いていた年輩の女性に「暑いですね。」と会釈をしました。
年輩の女性は穏やかに微笑んでいました。


明日は、貴重な休みであるので、まぁ、まったりと過ごす予定です。


KAZU |MAIL