ふつうっぽい日記
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小田和正さんの『たしかなこと』がラジオで流れた。
キッチンで作業をしていた私は久々に泣いた。
友人が言っていた言葉を思い出す。 「泣いてしまうのは、本当に仕方がないよね」
意味もなく、心当たりもなくとつぜん涙が出ることは、慎重に。
今日の涙は、歌詞の言葉が心に届いて、日常の場面が迫ってきて、感動した涙だった。
外に出れば、空がある。 かならずある。
昨日、雲がなかった青空。 「あなた」も見ましたか。
まるで「ほら、外に出て、空を見てごらん。 雲一つない空だよ」というセリフのために用意されたような空だった。
なんだろう。 「秋」だからか。 よく、「秋はセンチメンタルになる」なんて言うし。 その心の折癖、30年以上の効果かしら。 罪だねぇ。
なーんて。
でも、そういう「秋」だからこそ、「秋」のせいにして、どっぷりと、堂々とおセンチになれるっていう見方もありますかねぇ。
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「言って下さるから、動きやすい」
この言葉を数日前に、同じような任務の方に語って、共感を得た。
一方で、「言われないと、動かない」という見方もある。 それとか、「言ってもないのに、勝手なことをやってくれる」 「何も言ってくれないから、動けない」
「連携」をとって、物事を流していくとき。 相手にどのくらいの力量があるのか、どれくらいの指示が通るのかみたいなものが試される。
新しい現場に入る時は、自己アピールもしたくなる。 ストレスは避けては通れない。
ストレスは、たとえば、何気ない自然の存在の有り難さに気づけるかみたいな簡単な答えの問題に挑ませようとするのかなぁと思った。簡単な答えなのに配点がめちゃくちゃ大きい。 たぶん、ストレスの問題は、「問題です」なんて分かりやすい問いかけはないから、気付くのが早ければ、問題も1つでしかも配点がめちゃくちゃ大きいのかもしれない。
世の中の問題は、簡単な問題の配点が多分、小さくなってる。 簡単な問題をたくさんたくさん積み重ねてやっと、50点。 100点取るためには、応用問題もたくさんたくさん積み重ねないといけないのかな。
確実な失敗や、何か分からない理由で倒れた時。 それまでにせっかく獲得したものが、何もかもなくなったとか意味がなかったように感じる。 おそらく、それは、こんなことなのかもしれない。 応用問題を解くことに必死になって、頑張って、こんなに頑張っているのに解けない自分が情けなく思う。 そして、倒れて気付く。 その応用問題の基礎って、解いたことあったっけ? 応用問題は、部分点も取れるから、ただ、それに挑戦するだけで、なんだか、かっこいいような気分になってしまう。 「応用問題やっているんだねーすごいねー私はまだ基礎問題だよー」 なんて言われちゃって、ちょっぴり、調子に乗ったりなんかしちゃってね。
もう一回、応用問題に挑む道もあり。 基礎をやり直す道もあり。
少し、下の方に、ずれたような道をゆとりもって進むっていうのもいいもんだ。
私は多分、そのずれたような道を進むのがあっているんだと思う。 そして、その道は「進まねばならない」ものでもないんだよね。
「君、この仕事、向いてないよ」って言ってくれる人がいたらその人に感謝だ。
時々思う。 頼まれて、ひとまず、やってのけてしまう自分に、これでいいのかって。 でも、頼む人だって、同じように自問自答しているんだよね。 ただ、出逢いの初めの頃は、駆け引きに流れる感情曲線みたいなものが激しいんだよね。
たとえば、「若く見られる」ことが嬉しい人もいるし、そうじゃない人もいる。 冷静になればいろいろな受け取り方や考え方があることが分かるのに、「どっちのタイプか」なんて分析してその人柄の傾向さぐって、どうやって折り合いをつけていくのかに悶々と悩んだりしてね。
コミュニケーションのバランスが取れてしまえば、どうってことなくて、意識にも上らないんだけどね。
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