ふつうっぽい日記
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2011年10月03日(月) 空気が馴染んできた喜びみたいなもの

1日1日、自分が成長する練習みたいな有意義な姿勢で過ごせている。
ボランティアの活動現場も、空気が馴染んできた喜びみたいなものを実感できていて、のほほんと「空気」になれている感がある。
「気楽に動いているんだなぁ」と、周りにも伝わっているような気もしている。

こう思えている、思うことができている感覚は何の影響なのだろう?なんて、ほっこりと考えてみよう。つらつらと、自由連想的に綴っていくことにする。


先日、「煩悩」についてふと、辞書で調べた。
「仮の実在への執着」この濃い対象ともいえるのは、養育者(両親)なのかな、と思う。
このところ、ふと、実家家族との過去の場面が迫ってくる。

近しい身内の結婚に関する行事があったことも関係あるのかもしれない。
したがって、これは儀式的なもの、取り立てて珍しいことではないのかもしれない。

こういう風に、ただこれしきのことで、何やかんやと考えることは、「昔の人」は意識しないことだっただろうな、なんてことまでも考える。

時代の流れだ、と言ってしまえば、束ねて考えてしまうことが「ふつう」のように追い詰めないといけなくなる気がしてくる。

「何事にも二面性がある」というのは、ずいぶんと前にテレビで誰かが言っていて、とても短い表現だけれども「たしかに、そうだな」と腑に落ちた。
例えばエスカレーター。
人間の動きは「静止」しているが、エスカレーターという装置は「動いて」いるのだ。


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昨日、実父に手紙を書いた。
実父に手紙を書くのはどうなのだろう。
初めてだろうか。
それも便せん15枚ほどであるので、「大作」といえる。

実は先だって、ハガキを書こうと思って書いてみたのだ。
切手まで貼って、書き綴った文章は、読み返した時、皮肉混じりの怒りや憎しみ色が濃厚だったと我ながらセンスの無さのようなものを感じて投函しなかった。

昨日の手紙はどうだったのか。
15枚にも渡り、私は何をそんなに伝えたかったのか。

「手紙」というのは、手間暇がかかっている。
Eメールもまぁ、時間的な束縛が多少あるとはいえるが、直筆の文字と共通のデジタルな字体(フォント)とではまた「味」も違うだろう。

この父への手紙の内容については、今となっては、残念ながら、なんとなくしか私の記憶に残っていない。
ただ、「感謝」の気持ちが低層にあり、書きながら私は何回か涙を自然に流すことができた。
書きながら、抱えていた想いを解き放つことに成功したのかもしれない。
それも「怒り」でもなく「憎しみ」でもなく、「感謝」の形でまとめあげることができたことは私にとっては大きな意味を持たせることができたのだと思う。


もちろん、「念のため」にコピーを取るなんてことはしていない。



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昨日の私は、とても無理をしていないといえた。
理屈っぽいが、風邪を引いている最中だった。
ちなみに一昨日の私は、ある状況で我ながら「自閉的」な行動を取っていた。

「実行機能」に課題がある、ということを自閉症の特徴として解説していた本があった。
どのタイミングでそれをするのかについて、適切に行えないというのだ。

私自身の体験よりエピソードを書く。

「風邪引いているんだから、ゆっくりしなさい」と両親に言われた。

場としては、我が家に見舞いとして両親が訪問してきたのだ。
私の調子がよければ、私の方が実家に出向いて宿泊付きで夕食と翌日の朝食を呼ばれる予定だったのだ。しかし、思いがけない発熱。37,8度であった。

母が「せっかく、準備(夕食)していたのに…。今から、見舞いがてら、××ちゃん(私の妹)からの土産を持っていくから」と電話口で伝えてきた。

実家からは自動車で30分程度であるが、その到着までの時間、私はソワソワして待つことになった。気持ちは布団に横になりたかった。しかし、そうしてしまえば、熟睡する可能性もあり、そうなるとインターホンの音や電話の音さえも気付かないかも知れない。
そういった様々な可能性が次々に頭の中に浮かんできて、落ち着かない行動になるしかない状況だった。

さて、両親が到着するや、「AMラジオを聴きたい」というような動きを見せた。
「ラジオを聴きたい」と言ってくれれば、それも、1時間前くらいに言ってもらえば、視聴の準備が焦らずとも出来たのだ。
しかし、まぁ、「行けばどうにでもなるだろう」という思考は当たり前で、あらかじめ、そういったことを伝えなければならないなんていう発想はないのが「ふつう」である。
父は「えっと…」とぶつぶつと言いながら、リモコンで何かを操作しようとしており、その姿を通して、私は彼らがFMラジオではなくAMラジオ、それも特定の周波数に合わせたいということを知ることになった。
しかしながら、私にはその調整は分からなかった。
なぜなら、我が家はFMラジオ、それもある特定の周波数しか聴く習慣がないため、調整することを知らなくても困らないのである。

おそらく、両親はもたつく私の姿を見て、思ったことだろう。
呆れたことだろう。
「こんなこともできないのか!たいしたことないやつだ。使えない。」

私はあからさまに、混乱を表出した。
両親はこう思ったことだろう。
「こんなことくらいで、パニックになることないのに……。」

結局、私は非常用電灯搭載の携帯ラジオをつけて彼らに聴かせた。
彼らは「それでいい」と言って、ひとまずは落ち着いた。

このラジオを調整する、という場面も、私としては「自閉的」に思えたのだが……。


そして、ここで私は、彼らから「風邪引いているんだから、ゆっくりしなさい」と言われてしまうのだ。
ラジオの一件で、私は落ち着かない行動をしていることもあり、そう言いたくなるのも分からないことはなかった。

しかしである。
やはり、ここでも、待ちの30分と同じように、“気持ちは布団に横になりたかった。しかし、そうしてしまえば、熟睡する可能性もあり、そうなると……”という思考が巡っていた。
訪問者はどの程度、滞在するのかについての見通しが持てなかった。
「見舞いがてら」の妹からの土産を渡して帰宅するのだろうけど、どのくらい滞在するのか。
しかも、私は「ゆっくりする」ことを言われているのだ。
私が「ゆっくりする」ことを終えた時か???

私は素直に彼らに言った。
「何をしていいか、分からない。え?今、お茶って言った?お茶が飲みたいの?」などと言って、お茶をふるまう準備をするように指示されているのかとキッチンに立ってみた。
しかし、「お茶はいいから、ゆっくりしなさい」と言われる。
「何をしていいか、分からないって……(困ったもんだ)」という、つぶやきも拾うことになった。

私が選んだ行動は、彼らの姿が見える場所(私の自室である和室)でゴロンと横になるというものだった。
それ以上、彼らからは要求のようなものがなかったので、「これでいいのか」と私はひとまず安心したのだった。

横になって20分くらいして、だろうか。
熱のことが気になり、検温してみた。
なんと37度2分まで下がっていた。
そのことを告げると、「送迎するから、夕飯だけでも食べにおいで。」と提案された。
父は「熱があっても、うち(実家)に泊まればいいじゃないか」と言ってきた。

たしかに、実家に当たり前に暮らしていれば、または、例えば大阪に暮らしていて、帰省した時に風邪を引く可能性もあるわけで、そんな時は「ふつう」に意識せずともそうするだろう。

実家との距離はJRでも20分程度であって、近いということもあって、「ふつう」の範囲での遠慮だと私の中では思っている。
そして、両親も高齢であり、風邪を移しては申し訳ないということもあるし、やはり、落ち着いて眠れるのは安定した居場所である「我が家」なのである。


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今日あたり、実家に父宛の手紙が到着しているはずである。
父の思いと私の思いは、交差するのかもしれない。
伝わる部分はほんの小さな「点」かもしれない。
しかも、その「点」について共感しあい、語り合う機会は今後、ないかもしれない。
それでも、私はいいと思っている。
そして、二度と口をきいてもらえない、相手にされないかもしれないけれど、それでも、私はいいと思っている。

「感謝」の言葉を書いたのに、「私はいいと思っている」と表現しながら、どうして私は「共感しあい、語り合う機会は今後、ないかもしれない」とか「二度と口をきいてもらえない、相手にされないかもしれない」などという、ネガティブな思考を通過しているのか。

ここに、たしかな自分自身の「揺らぎ」を見つけた。
私の「弱さ」である。
「仮の実在への執着」というやつである。


手紙に書いたある言葉を思い出した。
「自分の弱さを知っている人だから強い」

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自分の弱さを知っている人は強い。

私はちゃんと弱いところがある。
そして、それを冷静に意識化できていて受容できている。
そして、「私はそれでいいんだ」と自分自身を誘導できているのだ。

ちゃんと、自分自身を信じられている。
大丈夫、大丈夫。
おそれることはない。

自分自身を信じられていれば、大丈夫。
ちゃんと、前を向いて歩いて行けるから、自信持ってOK。

明日は明日の風が吹く。


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今日のボランティア活動で、私は「本当、助かっています」と指導者から、はっきり言ってもらえたのである。
頭の中では、あれやこれやの「弱さ」もあっただろうが、不思議と「仮の実在への執着」は意識化されなかった。それどころか、「冷静に、それも笑顔で場に存在することができている」という実感を持つことができたのである。これは、喜びだった。

私は、思った。
人との関わりのあれやこれやが好きなんやなぁ、と。

両親だって「人」である。
近しい、距離が近い関係ゆえに、いろいろと知っているゆえに、何かとよけいな思考がめぐるのも「ふつう」であるはずである。
「他人」ゆえに、ばっさりとストレートに「仮の実在への執着」なんぞ意識せず関われるだけである。

最後に「仮の実在への執着」は、「悪者」なのか?
「仮の実在」設定率ナンバー1に輝く、「濃い」両親へも、自分なりに「感謝」という形でまとめあげることができたのであるから、素直に向き合えたのであるから、「悪者」にするのはなんだか失礼なことのような気がしてきた。

愛すべき、「仮の実在」に贈ろう。
「君と好きな人が100年続きますように」


自分自身を信じられていれば、大丈夫。
ちゃんと、前を向いて歩いて行けるから、自信持ってOK。

明日は明日の風が吹く。


追伸:
昨日、夫から「これで、君も立派な関西人だ。バッタモンやけどな。」と言われた。

そして、私の居場所は「家」でもなく、「夫」のいる場所なんやなって。



えっ。
のろけやったんか〜っ。

まぁまぁ、こんな感じでぼちぼち生きてまいります。


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