ふつうっぽい日記
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2011年10月25日(火) 最近参加した二つの研修から

一つは、月刊冊子企画のシンポジウム(参加費無料)
一つは、支援員研修(参加は任意)


内容はさておき、前者では「質疑応答」後者では「グループ討議」に共通するようなことについて今思い出せる範囲でなるべく簡潔に書いてみることにする。

「困っていること」「現場での課題」が主たる括り。
訴状のようなものは、「具体的かつ詳細」なもの。
対象と関わる中で、どのような方法や方向性でもってこの先、関わることを続ければいいのか。

「本来の」仕組みが機能していてば、「連携」されていき、「改善」されていく事案も多いように思われた。

前者のシンポジウムは、一般市民から専門家まで幅広く参加者を募っていた。
会場からの質疑では、一般市民に近い立場の私からするとシンポジストと同レベルのような専門家といえそうな立場の方の例えば「セカンドオピニオン」のようなものを求めているように映った。


後者の支援員研修では、連携を取るにあたり、支援員は担任との共通理解が重要と言われながら分かってはいるものの、「担任も多忙であり、その中で支援員の勤務時間内に話をすることは難しい状況」であることがあがり、その一つの策として、別の現場で担任と支援員との連絡ノートのようなものを活用していることが繋げられた。


支援員研修の主催者のまとめとしてこういったような事が言われた。

「本来は……という流れで、校内支援委員会で具体的な手立てが話し合われ、支援員におりていくもの。支援員が考えなくてもいいことが課題として上がっているということは、連携がまだまだ出来ていないということ……。
今回、このように支援員の声を聴けたことによって事業を進めていく立場として見えてきたこともあって有意義だった。」



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担任と支援員の連絡ノート。
平成20年度支援員事業スタート間もなく、私はこの策を自発的に思いつき即行動したが、当時は、というか当時のその現場の支援方針を総括して進める立場の考えによって、「担任と支援員の連絡ノート」は1日でストップがかかった。
今となって、別の現場でその策が、「うまくいったこと」としてあがっていることから、私の学びは深まった。
その一つとして、私の「思いつき即行動」は当時としてはマイノリティーであり反感をかうような異色であっただけで、無駄ではなかったのだと。

「組織」で方針でもって機能していく「社会」や、そのリーダーの考え方のようなものも、変容していくことへの希望。



機能が果たせていないという仕組みに対して、憤りのようなものを感じることを越えて、自分自身もその仕組みを支え、機能を果たすように声をあげることができること。
憤りの声だけを届けることに必死だった頃もあったなぁ。


「専門家」という知識、経験豊富な方であっても、試行錯誤に悶々として「揺れていること」そのこと丸ごと、そして、「考え」や「思い」が共有するような「仕組み」がまだ構築途上であること、機能が果たせているとはいえない状況であることに、安心感というか「同じように揺れる、人間であること」のような親近感のようなものを感じることができて、この場に私自身が居合わせることができたこと、ただそれだけのことに本当に感謝したい。


このように「引き」で見ると、例えば「専門家」を目ざし、精神レベルを高めて行くこと、自分自身の可能性を信じてみることも意味があるんだと思えてきた。

ああ、「私をやっている」この感じ、成長していっているように思えてくるこの感じ。
多分、「この感じ」が、私自身の「今」を頼もしく支えているのだろう。


KAZU |MAIL