ふつうっぽい日記
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2011年11月16日(水) 日々、練習、学習

11月1日より臨時的任用職員待遇での支援員勤務がスタートした。

本年度、2クール目である。
先日、教頭からの打診で3学期後半の支援にも関われそうな感じである。
まぁ、教頭からすると再任用とはいえ、「試験」を実施せねばならない立場から「ため息」をつきたくなる気持ちも分からなくはない。私はその「ため息」に対して、小悪魔っぽく笑うのであった。
といって、職員さん方々となるべく個人的につるまないように「引き」を意識している。

出戻り的な土地での現場ゆえに、同じ場所に留まり続けるのはいかがなものか、という思いに時々立ち止まることもある。確実な配置及び採用は約束されてはいないのだから、募集一覧に対象校があれば志願するもよし新天地を求めてみるのもそれはそれで意味があるのだと考えるようになって一日を大切に過ごすことに重点をおくようになった。
まぁ、「重点」といっても気軽なものである。

この3ヶ月ほどをふり返り、9月10月は時々、意識が過敏になっている自覚があった。
私の中ではそれを「フラッシュバックみたいなもの」と位置づけている。
別の表現では「揺り戻し」
本揺れの時の経験がメタ認知というのかより客観的に考察できるようになったともいえる。
この事については親しい友人何人かに語った。
友人等がどう感じたかについては気にしないことにした。


今、支援の現場で関わっている子から多くのことを学ばせてもらっている。
まだ出逢って2週間程度であるが、私の感覚では信頼関係ががっつりと構築されていっている手応えを感じている。
支援の必要な子の特性というのは様々であることを本当に実感している。
今のケースは今までの「障害」という枠には収まらない。
それほど重大という意味ではなく、関わり方次第で、環境次第で、対象から外れる可能性は大きいというのが私の見立てである。
といって、「見立て」などと書けるような立場にある訳ではないのだけれど。


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5歳、6歳の頃に外国から日本に移住。
現在9歳くらいだろうか。
私が知り得た範囲の情報では母国語については知識が少ないらしい。
養育者は日本語をほとんど喋れないらしい。
当事者は方言を自在にあやつる。
読み書きも思ったより出来ていると感じた。
「嫌な気持ち」というのも理解している。
そして、ポジティブな思考だなと私は感じ取った。

道徳の授業で、お友達の気持ちを考えるという場面では、「人の気持ちなんか分かるわけがないのだから、考えてもムダ」などと言うのである。
こういった言葉に私はここ半年ほど支えられてポジティブな思考を自分に流すことを頑張ってきたとも言え、若干9歳という少年、しかも外国人からそういった言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。
彼との関わりそのものが幸福に繋がっているとさえ錯覚しそうになる。

彼はお国柄というのか宗教信者である。そのことによって、食べられない食材というのがある。
給食には制限がある。

どういった思想であるか等について、彼との関わりの中で語られることは今のところない。
しかし、彼が人を信頼しやすいために裏切り行為に敏感であることから、多くの日本人(無宗教)とは違う感情が発達しているような感じがしている。
実に素直。


これからの関わりでの学びがとても楽しみである。


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支援員の仕事は、自分の人間性が試される。
なぜならば、子どもからの質問に戸惑うからである。
つまり、支援員が教員と混同されてしまうのである。
たしかに支援員の業務内容には教員のそれと重なるような領域もある。
子どもが学習活動でつまずいている時、支援員は分かりやすく説明をすることも支援の一つである。
しかし、あくまでも支援であって、指導をすることはできない。
障害上の困難を抱えている子どもへの支援は、子どもを理解して関わるといっても、その役割は教員との連携あってこそである。
支援員の判断で勝手に進めていくものではない。


KAZU |MAIL