ふつうっぽい日記
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2011年12月09日(金) |
騒がしい教室からの学び |
まぁ、教室というのは結構、なんやかんやと騒がしく(うるさく)なるものであります。
総じて、賑やかな雰囲気であることが多いのです。 いわゆる「学級崩壊」に近いような環境に措置的な役割で関わった(居続けた)こともある私なのです。 今の現場では、そのことを知っている職員もいます。
おそらく、昨年度に異動されてこられた職員だと思われます。
「昨日、うるさかったですよね。ボクだったら耐えられないですよ。よく、うるさい中にいることができますよね。」 なんて、「褒め」(?)の言葉を私はいただきましてね 担任先生は、キーッとなってしまって出てしまったのですね。
こういう場面。 私自身の義務教育時代、あったよなぁ〜と、ぼけーっと思い出しつつ、教室の後方に立ちながら時折、目を閉じて私はその場に居続ける、ということをやっていました。
一つの見方では、私も担任先生にならってその場から退出して、危機感を体験させ、どうしたらいいのか子どもたちだけで考えさせる、というのも「策」としては必要なのだろうな、とは思うのです。
ただ、空気のようにそこに居続けて、その場が収まるのを待つ人という存在がいてもいいはずだ、と私は考えるのですね。
巻き込まれたくない状況には、時として「君子危うきに近づかず」ではないですが、自分から距離を置く、ということも必要ではあります。 しかしながら、たかが、うるさく、騒がしいごときでその場から離れるという考えは私にはなかったんですね。 1時間も2時間も担任先生不在のまま騒ぎ続けるということはないだろう、と、のんびり考えているのです。
結局、どのような形でその場が収まったかというと、隣の教室の指導者がやってきて、「騒がしくて授業ができません」と言ってこられて、その指導者のもと、考えさせるという流れになったんですね。
まぁ、なんというか、純粋な不器用さんというか。 「静かにしていれば先生が戻ってくるかもしれないよ!」なんて声をかけあって、「静かにしてください」とか「○○!静かにしろ!」とか注意をする声で騒がしくなる。 廊下にいた担任は「静かにしても、先生は戻りませんよ。」と伝えます。
担任先生が教室を出るにいたったきっかけは、D君がふざける行動をして廊下に出されたのですが、納得いかなかったらしく、一度廊下に出ながらもすぐに戻ってきて、「ボクじゃなくて、先生が教室から出て行けばいい!」などと言ってしまったんですね。 担任先生としては、廊下に出されたD君の気持ちを考えてほしい気持ちがありました。 「静かにしていれば先生が戻ってくるかもしれないよ!」という子どもたちの提案の前には、こういうことを子どもたちはやったんです。
それはというと、なんとD君を寄ってたかって廊下に出した(排除した)のですね。
「排除すればいいっていう問題じゃないだろう」となり、考えさせるのです。
注意されて廊下に出させないために、クラスメイトとしてできることがあるでしょう、という思い。
愛すべき、純粋な不器用さんたちは、担任先生不在の中、考えるために方法を話し合うということをし始めたんですね。 それも方法というのは、「D君にどうやって思いを伝えるか」。 その場にD君もいるのです。 「グループで話し合って代表が言う」ということに。 漂う空気としての私は、 「ああ……こうなってしまうのか……」と耳を澄ましていました。
こうではないのですね。 「どうする?先生に悪いことしちゃったよね。先生、きっと悲しい気持ちだよね。先生に何て謝る?どうやって謝る?」 途中、「騒がしくて授業ができません」と言ってこられた指導者も、そのために考える時間を促していたと思われるのですが、あまりにも行動を起こさない(廊下にいる担任先生にアプローチしない)ことに、状況を確認せずにおられなくなった隣の指導者。 「司会者を決めて、さっさと話し合う!」と指示するものの、これがまた、立候補する子たちは、何かと気がかりな子ばかりで、「ちゃんと、話をまとめられる人じゃないとダメだ!」と喝。
そこへもって、グループ別に話し合っての発表のような形になり……。
D君が謝りに行くこと、D君が一人じゃ嫌だというのなら、一緒に行くよ、という流れでD君一人で謝りに。
無事に担任先生は戻ってきて、「今、D君は隣の先生に代表してお礼を言いに行ってもらっています。あなたたちは、お世話になったんでしょう?D君が戻ってきたらどうするの?」と促し、「ありがとう」のざわめき。
ーーー 通常学級での発達障害児への支援という支援員の「現場」。
めくるめく、人間模様が繰り広げられるのです。
そして、もう一つ。 学校で何だかの問題行動を子どもが起こしたとき。 当然ながら、学校で、がっつりと叱られます。 そして、「連絡帳」に学校(担任)より、家庭での指導にも繋げる報告がされることもありえます。 多くの子どもが、学校での指導(叱られること)によって反省ができると私は考えます。
家庭での「指導」。 その「指導」は、学校と同じような視点で叱ることを求めているのではないとも考えます。 学校での「指導」を受けた後、家庭での子どもたちの行動に配慮ください、見守ってやってください、ということを伝えたいのだろうと。 家庭という別の環境での行動で褒めるべき行動が見られたら、ぜひ、褒めてやってください、ということも。 「悪いことしちゃった……お母ちゃんに怒られる……」と自分を責めながら、子どもは帰宅することでしょう。 少し、前向きになれた時、せめて家庭では、いいことをしよう、お母さんを怒らせないようにしようといつもしないことに頑張るということもありえるでしょう。 いつも、注意されないとしないのに、自分から進んで行動を起こしたり、うるさく動き回るところが静かだったり。
E君は「連絡帳」に書かれた内容(学校側としては一つのエピソード報告の意味のもの)でお家の人から叱られて、その思いを抱えたまま登校していました。 そのことが分かったのは3時間目の途中です。 気分の波はある子ではあったのですが、机にうつ伏せて泣いたのですね。 担任先生の寄り添いによって、そういった状況が浮き出てきたんです。 その状況(家庭での様子)が浮き出る前は、同じグループの子を責める言葉が多かったのです。 話を聞いて行くうちに、E君は心を開いて語ってきたのです。 「つらかったね。朝からずっと言えずにいたんだよね。今の気持ちはどう?すっきりした?」とE君に声かけをすると頷きました。 「来週から、朝、先生とゆっくり話をする時間を取った方がいいみたいだね。 朝、すっきりした気持ちになれたら、優しい気持ちでお友達とも関わることもできるかもしれないもんね?連絡帳には、昨日のことは学校でちゃんと解決していますから大丈夫ですって書いておくからね。」という言葉にもE君は頷きました。
担任先生はE君の情緒的な波に「家で何かがあっているのかもしれない」と言ってきたことがありました。でも、なかなか、家庭のことゆえに探ることもしにくい、と、揺れているような表情でもありました。
そういった前置きのようなことが私には分かっていた分、担任先生とE君が自然なかたちで繋がる近い位置にいれたことに感謝したのでした。
担任先生は傾きがちな学級を立て直すことに必死なところがありました。 E君に寄り添いたくてもできないつらさがありました。 しかし、やはり、基本は一個人。
支援する人(例えば担任)を支援する人、それが支援員なのかなと思いました。
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