ふつうっぽい日記
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2011年12月12日(月) |
寒さによって抵抗力が落ちる |
昨日、夫にしみじみと私は言った。 「寒さで風邪をひくんだね」
すると、夫は「寒さによって抵抗力が落ちるんだって」と説明してくれた。
そんなの当たり前だろう、とも言えるかもしれない。 しかし、この、ただ風邪を引く日常っぽいことごときに、新鮮に立ち止まっている私を私は歓迎している。
今朝、6時頃、7度6分近く発熱した。 昨日の夕方からちょっと怪しげではあった。 早めに就寝したが、1時間おきに目が覚めるといった良質な睡眠が取れない状況であり、しかしながら風邪っぽいだるさできついという感じでもなかった。逆にそれが確かな不調を実感せずにおれないという感覚だった。 その判断の一つとして体温計の数値がある。 7時頃、7度3分だった。 少々だるかった。
月曜日は誰だってだるいものだ。 なんて言い聞かせて、実はちょっと無理して自分を励まそうと頑張っていた。 しかし、「無理」は素直な反応を起こしてくるものである。
次第になんだかゾクゾクしてきて寒気を感じるようになってきた。
検温すると6度5分だった。
「なんだ、気のせいか」と言い聞かせて少しやるべきことを進めた。 しかし、やはりだるい。
再び検温すると7度3分だった。
夫は「今日は休め!」と言った。 「施設の子供たちもいるのだから無理していく必要はないんだから。」
私はこの2ヶ月に満たない間にすでに2回欠勤している。 1回目も風邪だった。(月曜日) 2回目は夫の急病である。(金曜日) そして、今日が3回目。(月曜日)
なんだか申し訳ないような気がしていた。 しかも「月曜日」。
施設に連絡をするのも申し訳ない気持ちが漂う。
おそらく、この「申し訳なさ」が勝手に暴走すると「身体」の他にも「こころ」にも変調をきたしていくのだろうな、と思った。
支援の現場では指導者が1週間重い風邪を引いていたっけ。 一日終日休む、ということはなかったが、見た目にもきつそうであり、強制的に下校することを余儀なくされていたような感じだった。 そういう姿を見たからこそ、ここは同じように強制的に下校するように配慮されるような状況に追い込むことはしなくていいのだ、と、ようやく自分の中に素直に落とし込むことができた。
他の人にどう見られるか、休んでばかりいる人と思われたくない、といった気持ち。
しかし、である。 たかだか3日の欠勤である。 しかも、無断欠勤ではなく、連絡をしているのだし、ちまたに風邪は流行しているのだから、十分にありうることである。
ちっぽけな事なのに、別な誰かの状況と比較してそうであることを過大に受け止め、自分を埋没させていく必要なんてないのだ。
そして、私の中では収穫があった。 今朝、7度5分以上の発熱でありながら、4時間の良質な睡眠によって解熱剤に頼ることなく6度5分にまで自然に安定させることができている。 今朝のだるさはまったくない。 食欲はあり、腸の運動も正常である。 6時間程度早く回復されていれば出勤できていたのだ。 6時間で安定した体調にコントロールできたと思えば上等だ。
ただ、ちょっと、本当に申し訳なかったのは、欠勤の連絡の時に4分ほど発熱の数値を上積みさせて伝えてしまったこと。 7度6分と8度では、ダメージが違ってくる。
まぁ、厳密には数値の正当性は分からないものだ。 目安に過ぎない。
明日の朝も安定した体調であることを期待して、今日は感謝して過ごす。
1週間前までは予防といってマスクをしていたのに、ついつい油断をしてそれをしなかったので隙ができたのだろう。 「月曜日だから申し訳ない」という偏った思い込みを砕く「練習」の日であったのだろう。
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