ふつうっぽい日記
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2011年12月14日(水) 「あなたにとっての仕事場とは」

先日、いただいたメッセージで「本と対話をしている」というエピソードがあった。
本に書いてある言葉。

こういう感覚、センスって好きだなと思う。

そして、「対話をしてください」的な助言も自然に受け入れられる。



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今日、施設内にある図書室に行った。
もちろん、支援の一部である。
暖房設備がなくて寒かった。
にもかかわらず、子どもたちはとても静かにその場にいた。
入ってすぐの絵本中心のスペースと少し奥に進んだところに高学年向きの本があり、それぞれのスペースにテーブルと椅子がある。
椅子が動くたびに、キーッと音が鳴る。
これは、なんだかの配慮はできそうだなと時折、その音にそういった想像をしながら静かに反応していた。

指導者は絵本スペースの椅子に着席。
多くの子どもらは奥の高学年向きのスペースに着席。
私は最初、絵本スペースにいたが、対象児童が絵本スペースにおり、ためしに私が奥に移動すればその子も移動してくるのかと動いてみた。
15分後くらいに移動してきた。
私も静かに適当に選んだ本を取り、着席して読み進めるということをやった。

その本に書かれてあった言葉が、いくつか今よぎる。

感動する景色を誰かに伝える時、どうやって伝えるのがいいのか。
いくつか自問自答するような流れで、「ある人によると」的な言葉で、伝えたいことは、「具体的な行動」で伝わるという。
ここでの「行動」とは「変化」を伴ったものである。

例えば、自然の雄大さに感動したとする。
写真を見せたり、その情景を語ってもなかなか伝えたいことは伝わりにくい。
その感動経験によって、自分の行動を変えるのだ、と。
その姿から他者は「何か」を必ず感じ取るのだ、と。

他者の気持ちや、他者がどれくらい「知っているか」「分かっているか」なんていうのは分かるものではない。

自分自身についても、その所有者、主体である「自分」は自分自身のことを「知っているか」「分かっているか」というと、「絶対」なんてないのである。



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あなたにとっての仕事場とは、どういう場所か。

ある気楽な占い的な診断的なコメントで「自己表現の場所」という言葉があった。

しっくりくるような、センスのいい言葉だなと私は感じた。

たしかに、わたしにとっての仕事場とは自己表現の場所だ、といえそうだ。
人間関係という自己表現の営み。
時間の流れ。

なつかしい景色を見て、想起する想い出。
そこにたしかに流れた時間。

そこにたしかに、「あなた」と「わたし」がいた。


「たしかに大変な現場だった」だとか「あれは厄介なケースだった」とか、もうすでに確実な「過去」となったエピソードにもかかわらず、それも「こちら側」と、「あちら側」という別の立場での関わりであったのにもかかわらず、「大変でした」「厄介だった」と共有して流れた貴重な時間。


あなたにとっての仕事場とはどんな場所だろうか。


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今日もあの子やあの子の存在に励まされた。
これからは、あの子の前でも躊躇わず顔を上げて笑顔で穏やかな通行人であり続けたい。



KAZU |MAIL