ふつうっぽい日記
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2012年02月06日(月) お菓子と麻雀

26年くらい過ごした家族環境でのエピソードである。

私はたぶん、そこまでお菓子をねだったことはないと思う。
「チョコレート大好き!」という類いでもなかった。
出されたものは食べる。

まぁでも記憶をたぐるに、駄菓子屋で1個10円とか20円とかのお菓子を100円とか200円握りしめて何を何個買うか、というのは楽しかったという想い出はある。お菓子の味というより、そうやってお金を使った経験が懐かしい。話し上手ないわゆる「ヒョーキン」な性格だと、駄菓子屋のおばちゃんやおじちゃんとの会話も想い出の一部になっているのかもしれない。

私は「ヒョーキン」なタイプではなかった。
しかし、もう廃棄したので存在しないが、小学時代の「サイン帳」には二人くらいが「ヒョーキンKAZUちゃんへ」みたいな言葉を書いてくれていた。

私は二人との会話では明るい要素を発動できるが、大人数になると地味だった。

「二人で喋る時は面白いのにみんなでいるときは喋らんね。もっと喋った方がいいよ」
的な言葉を何度も言われてきた。
そのことを母に憎しみをこめて言ってみたこともある。
憎しみというのは、そういったおとなしい性格を母のせいにしたかったからである。
そうやって辻褄を合わせたかったのである。
自分以外の誰かのせいにして収めたかったのである。
そういう子どもの気持ちの誕生にも母親というものは立ち会う責任があって、その気持ちがたとえネガティブなものであったとしても温かく受容してポジティブな方向へ導いていくことが「仕事」だと私は子ども心に思い込んでいた。

母は私が中学に入学したあたりまで専業主婦だったと思う。
まだ「共働き」がそんなに多くはなかったのではないかと思う。
「学童」の規模も小さかった。
母は母であり、「母」以外の仮面をかぶることは想像できなかった。
よって、「この人はずっと大人の役をやっているのだろう」と考えて見ていたものだ。
会社勤めを私がするようになって、何かで言い争いになった。
仕事でストレスがたまっていたのだろうと思う。

「なによ、働いたこともないくせに!」

私は母が「母」以外の仮面をかぶることが、かぶっていたことが想像できなかったのだ。

「お母さんだって、外で勤めていたんだからね!」

怒りモードである。
眉間のシワは最大限に任務にあたっていた。


そんな何かと憤りの感情を持つ対象であった母であるが、黒糖風味のジャイアントポップコーンが大好物だった。寝っ転がって時には漫画を読みながら、時には家庭用TVゲームをしながらお菓子をほおばっている姿は忘れられない。

子どもが同じような行動をしていようものなら、お説教であるだろう。

私は母のそういった姿を刻み、「反面教師」と据えて、時に心の中でバカにしていた。
しかし、本当に「反面教師」として定着させるにあたっては、私自身の中での動揺、痛みを通過させなければならなかった。そのことは、「反面教師」という言葉を知ってから何年も後になって、身をもって知ることになる。

我が夫は我が両親との会話で「オヤジは反面教師ですから」といった言葉を放ったことがある。
オヤジさんがギャンブル好きであることを聞いて、我が父としては心配になったのだろう。
「君にはオヤジさんの血が流れているんだし」的な言葉をやさしくおそらく言っていた。
我が父はそういった「血」とか「ウチ」とか「世間体」というのを重視していたように思う。

私も少しずつ社会問題の「歴史」とか「経緯」とか「背景」について理解できるようになって、また、同級生との語らいの中で「ああいう考え方をする風潮が当時としては珍しくはなかったのだな」と冷静に通過させることができるようになってきた。


ところで、小学生、中学生の子を巻き込んでの家庭内麻雀というのはおそらく「不良行為」ではないのだろうと思う。
「勝負」が関わるものではあるが、我が両親は何やら記録を取りながら麻雀をすることを好んだ。
私は、麻雀パイの模様やデザインを眺めるのが好きだった。
漢字の「東西南北」や「發」「中」、白い何も書かれてないパイが手元に来ると何か嬉しかった。
ゲームの終了は、私が「すねて」(飽きて、いやになって)フェードアウトしていくことが多分、多かった。
「負けたからやろう?」「負けるからイヤなんやろう?」と、家族メンバーから取り囲まれて言われるのは、軽く「いじめ」の要素を発揮しているのだと思われるのだが、これも結果として、私が「外」の世界で、中学時代「いじめ」に遭ったときに「貴重な経験をさせてもらいました」と担任に放つ根拠に繋がっているように思う。

家庭内での人間関係の情動解決構造や仕組み、機能は、「外」で応用されるのであることを私は自分自身の子ども経験によって実証したような気がしている。

よって、「おはよう」という挨拶、「ありがとう」という感謝、「ごくろうさま」というねぎらい、「ごめんなさい」という謝罪の構造、機能を家庭内でまず「夫婦」同士が日常的に実践されていれば、その姿を見る子どもは、「外」でそのことを試してみるだろうと思うのだ。

そのように考えてみると、「勤労感謝の日」とか「結婚記念日」とか「誕生日」とか、そういう記念日に頼った感じで、非日常というか嘘くさいというか現実離れしているように思えたことは、自然のように思える。

今、現在の我が家は、子無しの二人家族であるが、夫との関わりによって、「おはよう」という挨拶、「ありがとう」という感謝、「ごくろうさま」というねぎらい、「ごめんなさい」という謝罪を「内」で実践できている。

夫は言った。
「君はボクがこんなに一生懸命仕事をしているのに、ごくろうさまって言ってくれないんだね」
10年間ずっと夫はこの思いを言えずに抱えていた。
この言葉は、奇しくも私が脳の変調をきたした状態をきっかけに吐き出されることになる。

「病気」はネガティブな要素ばかりがどうも主張されがちであるが、こういった内なる変革のようなダイナミックな環境への切り込みによって、「ありがとう」「ごくろうさま」「ごめんなさい」という思いが純粋な形で誕生するきっかけに繋がるのではないかな、と思えてくる。

子どもが「感情」について知るきっかけは、家庭内の人間関係以外にも例えば「本」のストーリーで「そうなんだ」と繋がることもあるだろうと思う。

しかし、年齢的な発達段階を配慮されて紹介される「本」というのが必ずしもその年齢の子の心に反応するかというと微妙なのだろうな、と思う。
まぁ、何年か後でも、何十年後でも、心が育っていっている手応えを感じられた時に、そういった心の成長を促すような本と設定を超えて、出逢うことは何かのメッセージに繋がっているのだろうと思う。


お菓子と麻雀。

一人自宅にてお菓子を食べることはある。
しかし、どこかで「申し訳ない」という思いがある。
隠れて食べているような罪深い気持ちになる。

子どもの時に、「バカみたいに」お菓子の虜になっておけば、お菓子を支配するような経験ができていればそういった気持ちに立ち止まることはないのかもしれない。
もしかすると、母が大人になってお菓子をほしいままに食べる、という行動は母の幼少時代の願望を叶えているのかもしれない。

「大人買い」とか昨今では「ふつう」に言われている。
かつて子どもだった今では「大人」がバランスを取るための一時的な衝動なのかもしれない。

麻雀。
四人家族として団らんの一つの形として据えればいいのだろうな。
ゲームの展開を楽しめるゆとりが私の中に根付いていなかったばかりに周りにも影響を与えたのだろう。麻雀の時、何が楽しかったかと思い出せば、その時はジュースやお菓子を罪悪感なく飲み食いすることができていたっけ。

そうか、ゲームは楽しめなかったけれどもちゃんと楽しさがあったわけだ。

野球観戦にも似ている。
ゲーム展開というより、ビールを飲んだり応援グッズで見よう見まねでその場に参加することが私は楽しいのだ。

いろいろな想い出の形がある。
「その時」とは違う形に年を重ねながら変容していくのだろう。
いつかはひしゃげて、自分の足で気づかず知らん顔で踏みつけることもあるのかもしれない。

これからだって、「形」になるたくさんの出来事があるのだから。
明日を楽しもう。


KAZU |MAIL