ふつうっぽい日記
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2012年02月27日(月) 関心の広がり

黒ボールペンに替わり万年筆を使用し始めて約1週間が経った。

きっかけは、何だったのかよく分からないくらいに「自然」だった。
よく分からないというのは「不自然」なようにも思えるけれど「不明瞭」の「不」に流されているだけなのだろう。

たまたま小遣いの残りが珍しく壱万円を超えていた。
ざっと思い返すに、書籍代で気づくと壱万円を使っているということは珍しくはないところを、そうか、図書館の蔵書、それも初めて「予約」という手続きをして気になる本を取り寄せてもらい、時間的な流れを有意義に感じてこれたのだ。
つまり、そこには「ゆとり」があったということだ。
金銭的な「ゆとり」は思いがけない現実ではあったけれど。

その日はリニューアルした本屋の地下に足を運んでみることを、何気に思いついたのだった。
地下には本屋が経営する文具コーナーが感動的な規模で展開されてあった。
本屋部分で1時間、文具コーナー部分で1時間半滞在していた。
その文具コーナーに万年筆があり、販売員が絡んでこないという条件も温かく包み込み、高いと思っていた万年筆が結構入手可能な価格設定であることが身近に感じられたのだった。
しかしながら、その時は、まだ「遠巻き」だった。
それが、である。
その後、別の雑貨屋に散策した時に、「万年筆のインク補充の仕方」的な映像が小規模なレジカウンターの近くで再生されていて、店員の近くでありながらも、やはり、特別に絡んでこないという条件が整えられ、我々はその映像を興味深く見入ることができた。

「へぇー。
吸入式とかコンバーターとか。
ボトルインクので補充するのって、なんか格好いいよね〜」なんて、すでに万年筆を所有しているかのような気持ちを受容し始めているのが実感された。

我々は再び、あの地下の文具コーナー目指して歩みを「進めた」のだった。
「戻った」のではない。

ショーケースの中の万年筆を見つめる。
そして、ペン先のお試しコーナーで
「この太さがいい」
「この細さがいい」
なんて感想を言いつつ、希望のペン先を決めることに成功していき、予算とデザインでもって、その希望サイズのペン先が存在するのか、在庫があるのかを真剣に見ていく。

いろいろなデザインを見ているとお値段が高価であっても、なんだか自分のものにしたくなってしまう気持ちに支配されそうになる。

「初心者なんだから」ということで、壱万円くらいの価格のものを選び会計。
販売員の女性は、我々が初心者であることを自然に聞き出してとても分かりやすく説明をしてくださった。そして、メーカーのキャンペーンとかで「お手入れセット」をいただけた。
これはなかなか買おうと思っても手に入らないものだと販売員の女性は熱く語っていた。お手入れグッズをどうやって使うかについても丁寧に説明してくださった。
何よりも安心感のようなものを持つことができた。
我々が入手したのは「両用式」というもので、カートリッジも使えるし「コンバーター」を付ければボトルインクも使えるタイプだった。
お手入れセットには、お試しのカートリッジインク3色もセットされていて、それを見た時点では「ボトルインクを使うタイプでは無かったのか……でも、それでもいいや!」なんて勝手に思い込もうとしていた。

説明書を見ると、「コンバーター」というのは500円程度で別売りされていて、ボトルインクを「吸入」して使うことができるとあった。

そう言われてみれば、販売員の女性は、「毎日書くこと、最低でも二日に一回は何かを書くことが一番のメンテナンスです。万年筆はいろいろな色が楽しめるところが特徴なので、カートリッジよりもボトルインクを是非楽しんでくださいね」とたしかに言っていた。

一眼レフカメラを持てばそのレンズやストラップやバッグなど周辺小物にいろいろと興味が広がっていくように、万年筆もそうである。インクの色やボトルのデザイン、万年筆の文字が映えるメモ帳やノートの質に興味が広がっていった。

そして、「もう一本くらいあってもいいかもしれない」なんていう思いも盛り上がってきている。

本日、お試し用のカートリッジが空になった。書けばまだ書けた状態ではあったが、昨日、ボトルインクとコンバーターを買ったということもあって、行動を起こした。
色は同じ黒だけれど、ちゃんと洗浄して30分くらい付けておいた。(時々水を替えた)
色を変える場合は、「一晩」置くのが基本らしい。

軸の色が黒なので、この万年筆は黒専用にして、別の万年筆を購入したらそれは色の変化を楽しむ用にすればいいかなぁとも思ってみたり、いやこれぞという一本でいろいろと楽しむことをこだわるのがいいのかなぁと思ってみたり、楽しい「思い」は巡るばかりである。

ボールペンの替わり。
万年筆のインクの黒。黒い字ばかりここ1週間書いてきただけある。しかも楽しく書いてきたのだ。
青いボールペンで補足書き込みの作業をやってみたところ、かつて馴染んでいたはずのボールペンの感覚に違和感を覚えた。外出先の例えば銀行とか役場とか美容室とかで何かを書かされる時の筆記用具のような感覚。
まぁ、だからといって、粗末に扱っては本末転倒である。


今までも関心を持つ機会はあったはずである。
しかし、その機会を自分自身の中に活かすかどうか、自分自身の興味関心を引き出せるかどうかは予測不能だ。新しい分野への関心の広がりは、その分野だけの関心を掘り下げることに留まらず、いろいろなものを巻き込みながら、広がっていくのだろうと思う。
この広がっていくそのものというか、広がっていっているという実感には、「ワクワク」が含まれていて、「楽しいことばかりが起こっている」という錯覚を持ち続けることに成功している気がしている。
「成功している」などと書くのはなんとも卑しいような感じではあるけれど、苦しいことや悲しいことのようなネガティブなことであってもそれは「何か」が成功しているのだ。
ネガティブな感情を発動することに成功した、という感じで。
例えばちょっとした風邪を引くことは、風邪を引くことに成功したということで、心身の影響を受けた部分にしてみれば課題を達成した、クリアしたとも言えそうだ。



KAZU |MAIL