ふつうっぽい日記
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2012年05月06日(日) 「申し訳ない」→「ありがとう」

オチがついて「落ち着く」。
オチがつくから「落ち着く」。
これは夫と出逢っていなければ繋げることが先送りになっていたかもしれない。
言葉だけが通過していく人生だったかもしれない。

ところで「申し訳ない」という言葉がある。
「ごめんなさい」ではなくて「申し訳ない」。
どうも、わたしはこの言葉を通過させるとき、揺らいでしまう。
いや、これまで揺らいできた、というのが正しい。

「〜してもらって申し訳ない」
「〜した」人は、その人が良かれと思って、その人の都合がいいからそういう行動をしたに過ぎないということがなかなか伝わらないからだと思う。
そこには「〜された」人にとってみれば、「〜する」ことは面倒くさかったり、実行することを考えにくいからという視点があるのだと思う。

ある人の視点では、例えば自動車を運転することは面倒くさいかも知れない。
また別の人の視点では、生活の手段として当たり前のように定着しているものかもしれない。そこには「面倒くさいことを頑張ってやっているのだ」という感覚なんてほとんど無いのだと思う。
運転することが面倒くさい人からすると、自動車で誰かに送迎してもらうと
「わざわざ自動車で送迎していただいて申し訳ない」
という思いが通過してしまうのは「ふつう」っぽいように思える。

まぁ、ここは、「申し訳ない」という表現ではなくて、「ありがとう」に変換し直すことで堅苦しい感じが掻き出されずにすむのだ、と考えてみよう。
「わざわざ自動車で送迎していただいてありがとう」

なるほど、自然な感じでオチがつく。
落ち着く。

「ありがとう」は落ち着く言葉。
落ち着かせてくれる言葉。

今日、「ありがとう」を伝えてくれた友人に感謝。


KAZU |MAIL