ふつうっぽい日記
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2012年05月07日(月) 今日の反省「引き」の視点で冷静に

連休明け。
ふわふわしていても不思議ではない週の始まりのはずだった。
分かっていたつもりだったが、勢いに任せて、自ら騒動に巻き込まれていった実感。

連休では、休めた感があった。
心身が整えられた感があった。
だからこそ、その調子でゆったりまったりとしてもよかったんだ、ということを学んだ。

ついつい、この休めた感、心身が整えられた感に甘えて、使わなくてもよかったエネルギーを発動させてしまった。

自分自身へのいたわりの言葉。
いいんだよ、整えられっぱなしで、ゆったりの連続で。
「はーい」
「ハイハイ」と、落ち着いて流されるようなプカプカした気持ちでも。

そういや、ある子が言っていたっけ。
「外に行くの?外に出たら戻って来るのが面倒くさいじゃん?疲れるし。だからここでこのままでいいじゃん。」
そして、わたしは確かにその子の言葉を素直に信じてゆったりとした気持ちで、ただただ話に耳を傾けて聴き続けることを楽しめていたのだから。

いろいろと落ち着いてくると、落ち着かない周りの様子のことが敏感に冷静に見えてくる。
でも、だからといって、わたしが表立って関わることを頑張らなくていいのだ。

時には起爆剤になることは必要かもしれない。
それでも結果としてそういう役割をしていたんだと後から点と点を繋げられれば十分。

具体的な指示がない時は、無条件に漂い続けることを楽しんでいいんだよ。
その壁の、その窓の向こう側で何かの気配が感じられたとしても、他の誰かのアンテナの感度がち高まるチャンスに繋がっているのだと考えよう。
より多くの人たちのアンテナの感度が開発されて、やがて淘汰されていくものだ、ということを「引き」の視点で冷静に期待すること、確信することは自分自身にゆとりを与えてくれるのだ。

多くのことに敏感に関わり過ぎると、ゆとりが感じられにくくなる。
具体的な指示を与えられるような「隙」を表出することをテーマにこの一ヶ月過ごしたい。

自分自身の近くのフレーム以外のあれやこれやを穏やかに見送る感覚(センス)が試された今日。
その試しの意味が分かっただけでも今日は充実した学びに繋がったのだと確信しよう。

朝触れた言葉にあった。
「深刻になりすぎないように」

深刻な表情や考え方を表出して、巡らせることは大切なこと。
意識しておけば「深刻になりすぎないように」できるものだ、というメッセージだったのだろう。
言葉の持つ素直さ、シンプルさに関しては深刻になりすぎてもいいのかもしれない。

ーーーー
ある場で、
「勉強しないのなら教室から出て行きなさい」的な言葉が指導者より発せられたという。
ありがちといえばありがちである。
近くでそのやりとりを見ていた子は、わたしにこう伝えてきた。
「Aちゃんは、先生から怒られたから帰るって言っている」
その言葉より以前にAちゃんがランドセルをかるっている姿をわたしは見ていて、何か用事があって早退するのかとわたしは思い込んでいた。
時は給食準備時間。
指導者よりAちゃんの見守りを指示されるも、ランドセルを背負っているAちゃんがまさか指導者の「勉強しないのなら教室から出て行きなさい」という言葉を律儀に受けとって、その言葉通りに不本意ながら行動を起こそうとしているとは分からなかった。
Aちゃんはスタスタと教室を出て行く。
上靴を脱ぎ捨てて、下靴を履いて校庭へ出た。
わたしは指導者にそのことを伝えると、指導者は持っていた給食食器カゴをわたしに託して、Aちゃんの後を追った。
やがて、指導者とともにAちゃんが照れくさそうに教室に戻ってきた。
黒板にはAちゃんがこれまた律儀に不本意だったろうに黒板に「先生さようなら」と書いていたのだった。

「勉強しないのなら教室から出て行きなさい」という言葉は、「怒り」のような気持ちを伝えるための台詞であり、本当に教室から出て行くこと、帰宅することをするように促す言葉ではない。
ということは、「空気」が読める人は分かるという表現。

「Aちゃんをお願いします」という指示の表現を、具体的にどうすることが求められていたのかが曖昧なまま、わたしが抱えることになった状況は深刻になりすぎてもよかったのだろう。
とはいえ、指導者に「Aちゃん、ランドセル背負っているけれど、これから帰宅するんですか?」というお尋ねの台詞がすぐに出来たのかというと、出来ない状況だった。
そこにはわたしのAちゃんに対する無条件な信頼があった。
その日は、午前中、Aちゃんに少々偏って、わたしも眉間にシワを寄せつつ言い過ぎたひとときがあった。
だけれども、無事にランドセルを戻し、楽しく給食時間を過ごせたひとときに、Aちゃんはとても笑顔だった。
ふざけて、目を二重にするという注意を引きたがるAちゃんの行動にわたしが「可愛いわね」と言うと、嬉しそうに指導者に「この顔、可愛いって〜♪」と見せつけていた。
その後もわざと顔に牛乳のしぶきを浴びせて、給食袋で拭いながらとびきりの笑顔でわたしと目を合わせてきたことや、ご飯の茶碗をほっぺたにすりつけてたくさんのご飯粒を顔につけた状態を周りの子にアピールしてとてもステキな笑顔だったこと。

Aちゃんなりに自分自身をコントロールするため、バランスを取るための試行錯誤だったのだとわたしは繋げることができた。

明日はわたし自身が笑顔で関わることを頑張りたい。


KAZU |MAIL