ふつうっぽい日記
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2012年05月09日(水) |
イライラのエネルギー |
子どものイライラのエネルギーというのは、ピュアでするどい気がする。
大人はイライラを整える、解消する手立てをいくつか持っていて、うまくいけばその日の内に整えることに成功する。 その日の内に整えることに手こずることもありうる(大いに)
わたしの考えだけれど、その日の内に、なんとかカツカツ(ギリギリ)整えられる状況であると翌日、ぼちぼちと過ごすことに成功する。 すごい「ゆとり」があって整えられた翌日は、その「ゆとり」が各種のピュアなエネルギーを激しく吸収する役目を担うことになり、まるで自分がそのエネルギーを主体的に放出しているかのような感覚になることもある。つまり、結構な疲労感に支配されてしまうのである。 よって、その日の内に、カツカツ、ギリギリ整えられれば上等なのである。
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ある支援の現場のエピソードである。
「Aちゃんがわたしに笑ってきたからむかついた」という理由で、Aちゃんの帽子を取り上げて、Aちゃんを泣かせたという事案があった。 Aちゃんは激しく泣いた。 泣かせた子は、Aちゃんが謝ってこないと許さないと引かない。 泣かせた子は、移動するべき場所があるにも関わらず行動を移そうとしない。 Aちゃんは指導者に伴って別室へ、泣かせた子はわたしが移動するべき場所へ促す指示が与えられるもスムーズに行動に移せなかった。 泣かせた子もAちゃんのことが気になる。 理屈では、「Aちゃんだって移動するべき場所に行ってない!わたしだけ行くのはずるい!」
支援者としての仕事は、 「障がい児へのサポート」 ある集団の中に、支援対象児童生徒がいて必要に応じてサポートをする声掛けをするのである。 そのサポートは指導者の指示に基づくものである。 ではあるが、上記のエピソードAちゃんと泣かせた子は、集団から離れた場で展開されたものである。 広い括りの中では、Aちゃんも泣かせた子も支援対象児童生徒ではある。
ある場所からある場所へ、ただ、移動を促す、それだけの流れにおいても、多様な感情がぶつかり合うのである。 2人の気がかりな対象児童がいて、2人の感情がぶつかりあっており、さらに、その感情を整え、正しい行動へ促すというアプローチは相当のエネルギーと覚悟が必要になる。 時に指導者ではない立場にありながら、声を荒げてしまうこともある。
ぼちぼち、今日が終えられたことに感謝しよう。
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