ふつうっぽい日記
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2012年05月10日(木) 1日休んで半年分の安心を

かつて、無理が無理を呼び、救急車で搬送された挙げ句、半年間休養が必要となった経験がわたしにはある。

昨晩より心身がだるく、発熱を伴う、激しい喉の痛みを発症。
いわゆる風邪の初期症状という類ではあるが、この時期の風邪は免疫力低下によるものだと考察。
思い当たる要因がある。

仕事のストレスは全ストレスの3%くらいではないかと思っている。
よって、仕事による疲労感による心身の不調ではない。
90%は、日々の休養のための空間に漂う「気」が影響していると思われる。
とくに同居人はため息をつくことが多く、この状態は本人も自覚しており、「しばらく俺はため息をつくから」と「ため息宣言」をしているので、あとはわたしの受け取り方次第ともいえるだろう。
状況を理解する、受け止めるにあたっては、少々の痛みを通過させねばならない。
その痛みを気のせいだと抑え込むと、結果として、潔く「ため息宣言」をした人間の自尊心によろしくない影響を与える可能性が大きい。

その痛みが、たまたま「風邪」しかも定番ぽい症状でもって表出したのだとすると、ここは「ため息宣言」をした彼と同様、「風邪引き宣言」を潔く表明することが重要だと考えた。

風邪を引いたからといって、休まなければならない、という枠はないが、休養は本当に生きる希望みたいなものを創出するのであなどることはできない。
また、仕事を休むということは迷惑をかけるということではあるが、二日、三日くらいはどうにでもなるものであるし、自分一人くらい一時的に不在になってもどうにでもなるということを学ぶことで楽観的な考え方を得られる。また、いかに自分の置かれている立場、仕事上での役割が影響を与えているのかといった存在価値が周囲に伝わる一つの頼もしい証拠に繋がることもあるだろう。

こういうことは誰にだってありえる。

今日は午後2時半には、体調は本調子に近い状態になっていた。
それまで、3度大量の汗をかき、着替えをした。
おかげでスッキリというわけである。
喉の痛みものど飴効果もあってか、想定内に収まりつつある。
今、職場へ来て欲しいと指示があれば出向けるくらいである。

昨日付けの日記で「その日の内に、カツカツ、ギリギリ整えられれば上等」というような事を書いた。今日の場合は、カツカツ、ギリギリに達することができなかったともいえそうである。
整えられすぎて「ゆとり」がありすぎて、本来受け止めなくてもいいエネルギーを吸収すると疲れる、なんてことも書いたが、いやはや、「ゆとり」がありすぎても足りるということにはならないということを学んだ。
「ゆとり」があれば、少々の風邪を背負いながらも現場で立ち続けることは可能であったはずだ。

「ゆとり」を持ちすぎることを畏れなくていいのだ。


KAZU |MAIL