ふつうっぽい日記
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2012年05月14日(月) |
早く声が戻ってきますように…… |
小学校でパート勤務をしている、わたし。 朝7時半前に学校にFAXを一枚送信。 教頭先生宛。不在の場合は教務主任宛とした内容。
本来ならば、電話で伝えてもいい内容。 でも、電話は出来ない。
今日に関しては、欠勤させてほしいことと、 明日、声が出なくても登校するつもりであること。
ーーーーーー 【風邪の記録〜声が出るまで】 5/9(水) 帰宅後、喉がザラザラしていた。 この日は、職場で大きな声を出した心当たりが大いにあった。 検温すると、37度3分。 頭痛もあったので頭痛鎮痛剤を飲んだ。 この頭痛鎮痛剤は、解熱作用もあるタイプ。
5/10(木) 頭が重く、起き上がれない状態。 検温すると、37度3分。 欠勤の連絡を電話で入れた。 市販の風邪薬を飲み、眠る。 汗をかいて体調はかなりよくなった気がした。 洗濯や家事も出来た。 しかし、検温は微熱(37度前半) 就寝前、頭痛鎮痛剤を飲んでおいた。
5/11(金) 微熱ではあったが、マスクをして出勤する。 鼻声ながらも、声は出ていた。 帰宅後、検温すると36度1分だった。 しかし、瞬く間に(?)喉が激しく痛くなっていった。 首のあたりが熱くなっていっているような感覚。 そして、声が出にくくなっていった。
5/12(土) 朝9時、かかりつけの内科を受診。 ちなみに、この内科は3年前、風邪の延長で咳が止まらないという症状が出た時からお世話になっており、咳喘息だったか気管支喘息といったような診断名を言われた。 人生で初めて「吸入」というタイプの処方を受けることになり、衝撃だった。 しかし、この薬は効果抜群で咳からの解放は幸せだった。 時期はやはり5月で、世間では花粉症や黄砂でマスク姿は珍しくはなかった。
今、「お薬手帳」をふり返ってみた。 2年前の5月は転勤で他県にいたが、やはり5月ストレスに大いに関係ある事案で通院していた。 そして、1年前つまり去年の5月は他県から再びここへ「戻って」きていた訳だけれど、わたしはかかりつけの内科を受診していた。 喉がイガイガして、「あの時とちょっと似ている……もしかしたら」という不安があって通院していたのだった。 その時、「先手を打っておくのも大切です」みたいな言葉を言われたような気がする。
話を戻す。 この日は、声は出にくかったものの、多少は発声できてはいた状態。 病院での検温は、37度3分。 血液検査で白血球の数値が一般人の2倍。 細菌感染が確定。 抗生物質他、喉の炎症を抑える薬が5日分処方される。 発熱は炎症によるものなので、処方薬によって落ち着いてくるとのこと。
昼食後から処方薬を飲み始める。 微熱ながら、夕方まで買い物に出る。 夕方、帰宅後検温すると、37度8分の数値。 あっという間に38度7分まで上昇。 夕飯を食べ、薬を飲み就寝(午後8時くらい?) 身体が熱くなったり、冷えたりを何度か繰り返しながら、5,6回ほど 汗で着替える。その度に、水分摂取を心がけた。
5/13(日) 検温36度8分〜37度2分。 声が出ない状態となる。
「風邪」「声が出ない」でネット検索すると、 結構経験者の声、「どうしたらいいのでしょう」的な質問がヒットする。 わたしだけではないということを知り、多少安心するも、 職場への申し訳なさもぬぐえない。
夫とのコミュニケーションは「コソコソ声」で実施。 夫もなぜかコソコソ声になってしまう(笑い)
就寝前に夫に「口がへの字フェイス」を披露してしまう。 「ちゃんと、声が出るようになるのかな…… 明日も声が出なかったらどうしよう…… 学校に連絡したくても声が出なかったら、FAXでもいいかな……」
「声が出なかったら、休みなさい」と、夫。
5/14(月) 検温36度4分。 平熱。 声は出ない。 しかし、頻繁に痰が上がってくるようになり、つっかえているものが少しずつ排除されている感がある。 FAXで欠勤希望を知らせる。
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「声が出ない風邪」経験者の日記では、上司から体調管理に関して「イヤミ」を言われたとか、「よりによってこの忙しい時期に」とか共感できることが多かった。
それまで意識せずとも当たり前のように出来ていたことが、全く出来なくなる、という状態は当事者にとっても、すごいストレスで、罪悪感、絶望感のようなものに支配される。 わたしのような臨時的パートという立場であっても、申し訳なさに取り憑かれる。 いや、期間限定にの人材だからこそとも言いたくもなる。 でも、だからといって通年勤務であればそのあたりが気楽なのかというとそうではないだろう。だからこその……と、あれやこれやと言いたくなることもあるはずである。
体調管理。 手洗いうがいは、毎日していても、免疫力というのは目に見えないものであるし、細菌そのものに関しては、無菌生活ということはほとんどありえない環境なのであって、弱くなるからこそ得られる強さだってある。 突然、襲った喘息も、持病として生涯付き合っていくのか……と思ったものだけれど、ここ3年間はコントロールできている。
そして、病気はなりたくてなれるものではない。 「今、忙しい時期じゃないし、今からちょっと、細菌感染しちゃおうかな〜♪」なんて 時期を選んで操作できるものでもない。
たまたま、今、仕事としてやっている業務が声を使うことが求められるものであるだけで、これがもしも、もくもくとパソコンにデーター入力をするとか倉庫で荷物の整理をする作業だとかいう類であれば、さほど影響は低くて済むのだろう。 まぁ、でも、立場によって、置き換えられるわけで、データー入力をするための手先、指先を負傷したり、荷物を整理するための身体の部位が損傷するといくら声が出たとしても業務への支障は大きい。
まぁ、なんといっても、欠勤は2回。 内1回は年休扱いにしていただけている状態(出勤簿を見てその対応を知った)
なるようになる。 分かっちゃいるけど、トホホである。
家事をこなしつつ、無理ない範囲で自己研修をするつもりだ。 こういう思いがけない休みの時間があったからこそ手にして読まれる本だってあるはずだから。
ーーーー 昼食後、修正と加筆を行った。 3年喘息症状は出ていないと書いていたが、違っていたことに気付いたからである。
今回は「喉がザラザラする」 のをきっかけにして、風邪へと確信されていく過程で、「咳」ではなく、「喉の痛み」が強調されていった。 3年前と1年前の受診きっかけも「喉がイガイガする」から発している。
今日休みをもらって、あらためて意識化されたことは、5月は「喉がザラザラする」という不調のサインが出る傾向にあるということである。 今回は自己判断で市販薬を飲んだり、微熱や頭痛で鎮痛剤を飲むということをやっている。 そこを自己判断ではなく、1年前のように些細なサイン(なんだか「喉がザラザラする」)であっても素直に専門家に立ち会ってもらって、不安を俎上にあげるということをやっていれば、すなわち、予防的喘息発作対策が実施されていれば、発熱や声が出ないという症状には繋がらなかったかもしれない。
しかしながら、わたしは1年前に受診していたこと(処方を受けていたこと)をまったく忘れていたので仕方がないともいえる。
5月という時期は、五月病と言われるように何かと不調が表に出てくる時期としては「ふつう」といえるのかも知れない。4月からの新しい環境適応にあたり、無理をしていないつもりが無理をしていたことに気付いたり、ホッと気を緩ませたところで、予防しようと思ったら予防できる程度の風邪の菌が入り込んでしまうというのも、ありえることなのだろう。
このようにして、自分自身のサイクル、癖を知ることができた今日という日に感謝しよう。
明日は明日の風が吹く。
ーーー 5/15(火) 通常出勤する。 心配そうに様子を尋ねてこられた職員に正直に「大丈夫ではない」ことをジェスチャーでもって表出することに成功。
時期が時期であることもあり、「ストレスで……」という解釈もあった風な空気ではあった。
かつての「私」であったら、もしかするとイラッと来ていたかも知れない。 精神的な病的に見られている「私」というこちら側の思いこみにとらわれて。
わたしは、逆に嬉しかった。 スケールを大きくとらえてくださって、「フォローしていこう」という空気を素直に感じることができた。 子ども達だって、マスク姿のわたしに戸惑うのも当たり前であって、病気だからこその(マスク姿は病人空気を強める演出となる)優しさを垣間見るチャンスに恵まれる。 この日は、午後当たりからハスキーボイス的な発声が可能となってくる。
5/16(水)
今日もマスク姿で過ごす。 ようやく、風邪を引いている人の声となる。
多少の声がれは、勲章ともいえるだろう。
養護教諭の言葉が頼もしかった。 「たまには病気にもなってみるものですよ」
そして、帰り際に管理職に、声が全く出なくなった時はもうずっと出ないんじゃないかと思ったけれど出るようになって楽になったと伝える。 管理職はハハハと笑っていた。
明日は、往復の交通機関及び給食時間準備はマスク着用とし、それ以外はマスク無しで過ごせそうな感じだ。
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