ふつうっぽい日記
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「はい、見ましたよ。 忙しいから、別のところで遊んでください」
見せたその子の手には、ブロックで作った誇らしげな機関銃。
「せんせい、すごかろう?」
あどけないその子の表情は、一人前の戦士だった。 細い目の奥で悲しげに放つ気持ちの光。
男の子の気持ちには敏感なのに 女の子の気持ちにはどうして 素直に受け止められない
そうかなるほど わたしもおなじ女の子
その子は言った。 「おんぶして」 「だっこして」 「あっちのお部屋で一緒に遊ぼう」
そうだね、そうだね。 お母さんは忙しいらしい。
「はい、見ましたよ」のやりとりが1分間続けられるとそのお母さんでもちゃんとお母さんの役割の一部を刻めたんだろうね。
心の広いお父さん先生は言うのさ。 「大きな赤ちゃんがおるね。 幼稚園に戻らないけんねぇ」
それでもお父さん先生はそう言うだけで、 ちゃんとボクを怒らないでいてくれるんだ。
「せんせい、今日だけ、ここにいて、一緒に遊んでよ。 ボクがこれでバンって打ったら、倒れてね。 いくよ、バン」
おんぶして、だっこしたせんせいは、言うとおりに倒れてみました。 「わー。いたいよー」と平坦な声を上げました。 お父さん先生が 「それはいけないよ。せんせいがいいっていっても、先生は許さないよ」 と、低い声が降ってきました。 バンと打った子は、すぐにいけないことがいけないと分かりました。
子どもが好きな大人というのは、子どもには分かるらしい。 そんな子どもは、怒るから大人は嫌いなんて考えない。 ちゃんと怒ってくれて、ちゃんと遊んでくれるから、ちゃんと褒めてくれるから近寄ってくる。
さらに、子どもは無垢だな、と思う。
「はい、見ましたよ。 忙しいから、別のところで遊んでください」 の声の大人にも また、接近することをする。 今度は機関銃は持っていない。
思った。 子どもは「忙しいから」という理由で突っぱねてくる大人に何度も何度もアプローチをしているんだな、って。 大人が見ると思ってしまう。 たった一度の声でも思う。 「別のところに行こう。ここでは遊べないらしい」と判断する選択をする。
わたしも気持ちは忙しくて、翼があったらおそらくは傷ついているであろう翼を休めたいと思う。 癒やしたいと思う。
そうだったな。 「おんぶして」 「だっこして」の甘えん坊の子達との関わりそれ自体が癒やしのひとときで、わたしの傷を癒してもらっているような感覚で。
一人、翼を休めたい人だってたしかにいる。 わたしだって、そう思う時だってある。 一人静かに自分自身を見つめる時間があればこそ、関わりから癒やしみたいな目に見えないメッセージや励ましを受け取ることができるんだ。
必要とされる場所にわたしは駆けつけるよ。 ゆっくり近づいていくよ。 両手を腰にあてて ゆらりゆらりと散歩をしながら。
「はい、見ましたよ。 忙しいから、別のところで遊んでください」 の声の大人にも。
ブロックで作った機関銃が 「お母さんを返せ」と伝えていたみたいで
いや
「ボクはもうこんなに成長したんだ」と伝えていたのかもしれないな
開かれた扉には人が集まっていくものだ 吸い込まれていくものだ
とても自然な法則で
今日という日に感謝
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