ふつうっぽい日記
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2012年05月23日(水) とある日の状況を整理するために。

学年主任Aが対象児童(支援学級在籍)Pについていた。
背面にマークするように。
体育会の全体練習。

そこへ支援学級担任Bからの指摘。
学年主任Aは、全体を見ないといけないのであり、
Pに張り付いていると全体が見られないので「遠慮せず」介助員がPの背後につくようにと指示される。
その時の動きとしては、学年主任Aから担任B,そして介助員と変わっていった。
わたしはP児を列の後方で見守りつつ、学年主任Aが後方の指導にあたるためにP児から離れた時に、入れ替わるようにしてP児の背後につく、ということをした。P児は動揺し、間もなく学年主任Aが戻ってきてP児の背後につき、その直後に支援学級担任が来たのだった。
支援学級担任にしてみれば、介助員ではなく、学年主任AをP児の背後での支援に関わらせていると映ったと思われた。

対象児童Pにとって学年主任Aは、交流学級の担任でもある。

支援学級担任Bは、学年主任Aに迷惑をかけてはいけないという思いがあり、多動が誘発される科目、つまり活動に移動が伴う学習、例えば「体育」「音楽」「生活」は支援学級内で預かり個別指導をしたいという方針がある。
当初は、出来る限り交流学級へ送り込みたいという思いがあったのだけれど、問題行動が重なり、そのように方針を変えていったのだ。

以前、図工、給食の交流にあたり、支援学級担任の指示により、学年主任Aの学級に入り込んだことがあった。
その時は、担任(学年主任A)から介助員に対して、椅子を準備してくださったり、具体的にどういう関わり方をすればいいのかについて、例えば「ハサミで必要な部分を切り抜いてやってください」という指示をくださった。また、P児が書いた作文をわたしが賞賛をし、そのことを担任Aに伝えたことで担任AとP児の信頼関係が深まった、ということがあった。P児にとっても交流学級担任Aとの関係は大切にしたい、という思いは伝わって来る。わたしが見てもP児と学年主任Aとの相性はわたしとの関わりよりもプラスの要素を感じ、安心感がある。学年主任AがP児に賞賛の言葉を与えた時、わたしも賞賛の言葉を自然にかけることができる。

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P児の指導に関しては、ほとんどの職員が厳しい目を持っており、叱ることが多い。
大人をためすようなところがあり、怒りのコントロールが出来にくいところがあり、自分にとって気に入らないところがあると蹴ったり叩いたりする。

校長からなめられないように、と忠告を受けた。
わたしからすると、目下「お試し期間」だという認識がある。
暴言を吐く、暴力を振るうが、内容的、質的には幼いところがあり、外からみると大層強い力で蹴られているように見えるが、砂埃がただただ舞い上がり張り付き、壮大な傷跡のような効果を出しているだけで、本気でやっているのではないということは分かっている。
こういった時、生徒指導的な「教師」は、集団であろうと目立つ場所に引きずり出して、自尊心への配慮をしつつも指導方針のもと叱責を与えるのだろうと思われる。

しかし、自称弱小介助員、心に寄り添う介助員としては、引きずり出し型の指導というのは「遠慮せず」と言われても、スキルやセンスがすぐに引き出せないジレンマに簡単に支配されてしまう。

正直、こういう状況下での、こういう指導を求められる関わりはしんどい。
周りの指導者もそのようにするのだから、同じような精神で関われということだろうか。

支援学級担任の揺れも分かる。
何かと問題行動が絶えない日常も分かる。
支援学級在籍児童の担任としての責任、意識も分かる。


昼休みも、黙々と支援学級担任は教室で学級環境作りをやっている。
その雰囲気たるや濃厚な感じであり……
1年生の支援学級在籍児童(指導者はBではない)が、無邪気に教室に入ってきても穏やかに対応するゆとりはない。
このわたしも、時間があるからといって、この教室に入るのは正直しんどい。
支援学級担任Bとの語らいのひとときではあるけれども、状況によっては、自分自身の精神衛生を守るのを優先したくなる。
別の支援学級の教室は開放的で、セラピー的な雰囲気が漂っている。
時々、わたしもその教室に紛れて、子どもと関わりながら癒しをいただいている。
別の支援学級担任が、どう見ているのかは気になるところだけれども、何かあれば指示してくださると信じて自分自身をその場に委ねている。また、どこからともなく、「外に遊びに行こう」と誘われれば応じる。

多くの指導者がP児は「特別(に手がかかる児童)だ」という思いがある。
しかしながら、「こう関わるのがいい」という具体的アドバイスを介助員に助言できる指導者はいない。
立場が遠い指導者ほど、
「大変ですね」
「遠慮せずに指導してもらっていいですよ」
「本当にふざけているなと思った時はバシッと表に出して言っていいですよ」
と言ってくる。

P児は女児。
同性ゆえの「こちら側」の感情コントロールが試される日々である。

残り、2週間と2日。

「形として何か残せるように」とか
「何か気がかりな行動を変えることができたら」とかいう思いで押しつぶされないようにエネルギー配分していきたい。
ただ、見捨てず、そこに居続ける、ただそれだけでも意味があるのだと信じて。
そういうわたしの存在が求められる業務に支障を与えているのだとしたら、力量不足なのだとしたら、振り払われても構わないとわたしは思っている。
子どもと向き合うことからは逃げない。
しかし、この場所での組織的な方針にわたしの動きがずれているというのならば、わたしは他の場所でわたしを試すことを畏れない。


名前も分からない子達が、無邪気に笑顔でしゃべりかけてくれる。
その子達の何気ない意志なのだろうけれど、何か大きな存在の計画で、わたしというちっぽけな大人に励ましを届けてくれているような気持ちにもなる。


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今、「愛着障害」に関する文献を少し読んでいる。

理屈的に脳を動かすことで、理屈では話になりにくいようなリアルな現実からのストレスが中和されるような気がするからである。
あえて難しい本を読もうじゃないか。
きっと、そこから何だかの扉が開くメッセージが放たれると信じて。


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少し状況を整理ができて見えてきたことを書いてみる。

他の場所で自分自身を試すことを畏れないのならば、今の場所で自分自身を試すことに畏れたってどうってことない。
素直に畏れていいんだって考えよう。
だって、そうでしょう。
多くの人たちが「手を焼いている」対象なのだから、ヘロヘロになっても一歩引いても「ふつう」だよ。
Qさんが言っていたじゃないか。
「わたしなんていつも抱きついてきて、手を握ってくる」
Qさんの様なとんでもなく離れた「引き」の場所で俯瞰する立場の人間も必要。
近くで敏感な部分に関っているからこそ、引き出される、衝突する内面的な思い。
よくある、同じような反応を返すことで、「ハイハイ」と一線をただ引かれ、近づけば淡々と相手にされなくなるようになれば、「楽」ではあるのかもしれない。

微妙なお試し期間にあればこそ、純粋な気持ちに思いがけず気づけるかもしれない。
まぁ、だけれども、これまでにいろんな大人が入れ代わり立ち替わり育ちに関わっている実態。
だからこその積み上げられた邪悪な「慣れ」もあるのだろうと思う。



KAZU |MAIL