ふつうっぽい日記
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2012年06月02日(土) |
「おねがい。わたしをひとりにして」 |
2年生女児Aちゃん。
「行くの行かないの?さっき行かないって言っていたけど、変えてもいいんだよ。 先生たちはこれから行きます。どうしますか。」
「行かない。」
大人はわたし一人が教室に残った。
「せんせいもいけばいいのに。いっていいよ。」
「……。」
「おねがい。わたしをひとりにして」
「分かった。じゃぁ、行くね。」
わたしは少々小走りに指導者のいるところへ向かった。 そして、状況を伝えた。
指導者は少し驚きながらも手立ての引き出しを開けた。 「そういえば、B先生が言ってました。 Aちゃんはクールダウンさせたらいいでしょうって。 クールダウンさせましょう。 先生は廊下あたりにいてください」
わたしは教室に近い階段に腰掛けて待った。
結構短い時間でAちゃんは教室から出てきて、わたしの姿を見つけて、 「行ったんじゃなかったの?!何をしているの?」と興味津々。 別の多動性を引き出してしまったかと少々反省するも、わたしは 「せんせいだって、一人で考えたいこともある。」と言って、座り続けて、腕を組んで下を向いて目をつぶった姿勢を取る。 Aちゃんは 「何を考えているの?」と言ってきたが、そのことに関しては黙秘を貫いた。 やがて、わたしは意を決して、 「よし。先に行っておくね」とAちゃんのいる気配の方向へ言葉を放ちわたしから変化の行動を起こした。
後ろをふり返らないことにエネルギーを注ぐ。
靴箱のある右折。ぐっと、我慢して淡々と外靴を履く。 中庭には他学級の同学年の子達が観察だか水やりだかそういう曖昧な活動をしていた。 自然と紛れることに成功。 他学級の子達からの絶え間ない、些細なわたしへの接触。 わたしは自然にその固まりから抜けて、外側からAちゃんがいる棟の方へ歩みを進めたが、自然にUターン。そして、また活動中の固まりに参加する途中でAちゃんの姿を小さく発見。 上靴で、中庭が見える渡り廊下で偵察するような動き。 わたしはAちゃんに接近するということをせず、やはり自然に接触してくる他学級の子達に淡々と対応。そのうち、Aちゃんが外靴を履いて、足早に担任のいるエリアへ行き、穏やかでありながら少し落ち込んだような表情で担任の近くのコンクリートの縁に座る。
活動は野菜の収穫だった。 野菜泥棒をした記憶の新しいAちゃんだけに、気が引けたのは当然のことだろう。 担任は 「どうぞ。今日は収穫しますって決めた金曜日だから。Aちゃんもどうぞ。 このキュウリはAちゃんが収穫するって約束していましたよね。はい、どうぞ」
Aちゃんは拒否。
でも、結果的には収穫して嬉しそうに下級生に見せていた。 あまりにも嬉しくて、触ってはいけない時間に触り続けるというAちゃんらしい行動もあった。
Aちゃんがよりよく生きていくための、ひとつの自己分析機能の発動の瞬間に立ち会えたようなそんな日だった。
自己分析機能としての、クールダウンという段階。 それは、外から強制的に威圧的にされると反発が増えていくものなのかもしれない。 内側から、当事者自分自身の中から、反発的ではなく、冷静な要求であったとき、発動できるのかもしれない。 そして、「こちら側」も冷静に要求に応じることができれば質的に、時間的に要領よくなっていくものなのかもしれない。
また、少し「引き」で見ると、指導者(担任)の関わり方の質的向上。 まぁ、わたしの立場でこういう解釈をするのは、ちょっぴり生意気なのかもしれないけれど、ひとまずの立場が「引き」の視点が必要そうなので、エピソードを括ろうとするなら、その通過点では解釈することも自然なのかもしれない。
明日は運動会。 きめ細かい支援指示というわけではないけれど、なんとなく見通しが持てそうなイメージが漂っていて、焦りはない。 「その時」焦って、「その時」直感的に行動すればいいはずだ。
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