ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2012年06月25日(月) 途上考察

数日前、友人とお酒を交えて食事会をした。
といっても、規模は二人である。
カウンター席というのは、心が開かれやすいということを実感した。
といっても、「どうもそうらしい」ということに触れたのは、その後だった。
逆にそう知っていたら、何だかの防衛が働いていたかも知れない。


今となれば、お酒を交えての語らいは久しぶりだった。
去年の今くらいの季節に実施したような気がする。

この1年の間に外的及び内的な対象喪失を経験した、というのが彼女との共通事項だ(と、わたしは繋げている)

語らいでは、引きの視点が自然に発動され、過去を取り巻く環境を構築してきたそのまた過去というレベルにまで広げられていった。
もっとも、大幅に広げて行ったのは、わたしだったと思う。

少なくとも、1年前までは語られなかったことが、自然な展開で語られた。
しかも、お互いに冷静だった。
お互いに「何か」を引き出そうとしていないのにも関わらず、そういった深層的なかつての「とらわれ」を俎上にのせて何か一つの結論に誘導するでなく語られた時間の流れ。


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「弟」の喪の作業。

彼女にも小さい頃に「弟」または「妹」の喪の作業に関わっていたことが分かった。
彼女のご両親は社会的に彼女を発達させることに成功したのだな、と思った。

「(親と)一緒に、水子供養をした」
これは、確実なる「喪の作業」である。

彼女の母も、わたしの母も「母」としては同時期を生きてきた。
社会的、世間的に「男子を産む」ということの価値というのはある意味、共通理解されていたようなところがあった。

「男の子が欲しかったのに(女の子しか生まれない)」
「男の子をのぞむ、夫に申し訳ない」
的な思いも、共通理解されていたと思われた。

そんな時期に、男子の流産という状況が、その後の人生にどう影響を与えていくかは想像するに難しくない。

世の中には、本人の努力が反映されがたい仕方のない現実というのは多くある。

男子を家族として構成することができなかったことが、「出来が悪い」として括ることの考え方の狭さ。

その狭さゆえに、翻弄される女子の人生。

子どもは親を選べない。
考え方も選べない。

「時代の流れ」として、括ることは「思考停止」への道だ。

しかしながら、思考は停止しない。
生きているからこそ、である。


思考の枠は狭くなったり、広くなったりしながら、結果として確実に広がっていくものだ。
広くなりすぎそうになると、狭くするように動く。


「ひとまず、妹が、親に孫の顔を見せてくれているから」

こういう考え方、自己回避、安定でもって、やり過ごす、というのは、社会的に、世間的に共通理解されているのかな、とわたしには思える。

男女問わず、「独身」であっても、「甥」や「姪」の存在でもって、既婚でないことや、既婚であっても、子どもを持たない世帯であることの違和感を紛らわすことに成功している。
と、わたしには映ってしまう。

こう映ってしまうのは、わたしには「姪」「甥」がいないからこそ、である。
もしも、そうなっていれば、今まで展開してきた文章はおそらく誕生していなかっただろう。

しかし、「姪」「甥」がいるからといって、同じように何かが共通理解されていると括るのもまた、狭い考え方のはずである。


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「誰も、私に子どものことを聞いてこない」
という話題も流れた。

新婚、2年とかそこいら。

これもまた、時代の流れというので括るのは思考停止である。

かつて独身であった女性が言っていた言葉を思い出す。
「結婚は?と、誰からも言われなくなった」

少し形の似た「寂しさ」を感じる。

気を遣われていることへの違和感。
といっても、当事者としては、周りへの気遣いを大切にする。
いや、だからこそ、だとも言えるのかもしれない。


一方で、わたしがそうであったように、
「今はまだ、お婆さんと呼ばれたくない」と、先送りにすることを願う思いを、ざっくばらんに伝えてくる、ということもある。
法的に安定的でありながら、避妊をする「生活」。

「今、(子どもが)出来ても(困る)」
は、やがて、
「もう、そろそろ」
となり、
「いい加減、一人でも」
となり、
「お墓も建てたことだし」
と、何やら思想的な宗教性を練り込まれたような思いまで引き出すことに繋がってきたりもする。


子どもを「作る」か「作らない」か、「選べる」時代になったとか言われる。
括られる。

子どもがいない状態であるということ。
夫婦だけの家族であるということ。

家族の数だけ、事情も違う。
社会が括るように「そう」であることは、確率的に多いのかもしれない。

しかしながら、何度も流産をしている、何度も相談機関へ足を運んだ、宗教性に委ねている、相談機関へ足を運んだが心が傷ついて今に至る、自然の流れに身を任せている、機能的に課題を抱えている、機能的な課題に折り合いをつけようとしている途上である、「そう」ではない確実な存在である可能性だってあるのだ。
しかも、それらの可能性は、当事者から自虐的に語られることもあるかもしれないけれど、静かに強く「さまざまな可能性」を祈っているものなのではないか。

「さまざまな可能性」は、「作る」ことが結果とは限らない。

一個人、人間としての発達だ。


「作る」「作られる」ことからの「学び」は、一様ではないはずだ。

「子ども」から学ぶことが、「我が子ども」からしか「血縁のある子ども」からしか得られないのだとしたら、その学びに限っては諦めるしかないのかもしれない。


「人様の子どものお世話もいいけれど、自分の子どももいいものですよ」と、言われたことを思い出す。
「言われた」と表現しているからには、ただただ受け身的にわたしは収めていくしかなかった。
今思えば、さほど揺らがずに(怒りや憤りの感情を発動せずに)存在できたことは、我ながら安定している。
自分が「そう」したくはないために、回避のために、その代わりに、「人様の子ども」に関わっているという「枠」のようなものが、その言葉を放った側にあるのだ、ということをわたしは学ばせていただいた。
揺らぎが少なかった理由は、かつて似たような言葉を受けたことがあるからである。
冷静になれば、「狭い」考え方から発言された、ということが分かったのだ。
「狭い」考え方から発言された言葉というのは、刺さりやすいが、広げられるきっかけにもなる。

「教育(保育)を学んできたあなたが子どもを産まないなんて。子どもが嫌いだったなんて。」
とまで、広げられてしまった、「あちら側」の考え方。
たとえば、「その時」の「排卵環境」を詳細に語ることで、この手の「あちら側」には伝わるのかもしれないけれど。

結婚をすれば、必ず、子どもができるという確実性なんてない。
というのは、共通理解されていないのだろうか、と、わたしは驚いたものだった。

出来ることなら、出来たことなら、高卒で仕事をして、22歳くらいで出産をしたかった。
かつて「共通理解」された時代のように。
とはいえ、当時の自分自身をふり返るに、そういった「思考」は、全くなかった。
大学時代でさえ、「わたし」の視点は意識されていなかったのだから。

2年前の「わたし」の意識化。
私が「わたし」と出逢えたこと。
「わたし」の誕生。

「わたし」の存在なくして、「子ども」が持てないのだとしたら、まだまだ、「わたし」は未熟な発達途上なのだから、なに、焦らなくてもよさそうである。
焦ったところで、時の流れというのは平等だ。

あれやこれや、揺れるの上等。
「途上」を流されるままに生きよ。

「途上」の連続、それが、その人の人生と言われているに過ぎない。


KAZU |MAIL